「歌を始めたきっかけは母でした。私はちいさいころ、すごく人見知りをする子だったので、母が心配して、民謡教室に通わせることに決めたんです。5歳のときから、祖母といっしょに教室に通っていました」
こう語るのは、今年12月31日に放映される『第68回NHK紅白歌合戦』への初出場が決まった丘みどり(33)。出場歌手発表から約1週間後、丘の喜びの胸中と、これまでの歌手としての道のりを聞いた--。
「母自身も若いときに歌手を目指していたこともあり、歌に関してはとても厳しかったです。自宅でも稽古があり、ワンフレーズ覚えて歌えるようになったら、『眠ってもいいよ』と……。いわゆるスパルタ教育ですね。“一度始めたことはやめない”というのは、母から教わったことです。祖母も母も演歌が大好きでしたので、たくさんのコンサートに連れて行ってもらいました」
民謡教室での稽古の成果により、11歳のときに初めて出場したコンクール「兵庫県日本民謡祭名人戦」で、見事優勝。その後も数々のコンクールで優勝を果たし、「民謡の天才少女」と呼ばれるように。
地元の高校を卒業後、アイドルグループ「HOP CLUB」のメンバーとして芸能界デビューするが、「演歌を歌いたい」との思いからアイドル活動をやめ、音楽の専門学校で基礎から勉強し直すことに。その後、カラオケ番組に出演したことがきっかけでスカウトされ、’05年、20歳のときに再デビュー。だがデビュー翌年、実家の父から電話が……。
「母が大腸がんで、余命半年だというのです。ほかの場所にも転移していて、手術してもどうにもならないと……。母は私には元気そうにふるまっていたので、信じられませんでした。お仕事をお休みして、実家に戻り、つきっきりで母の看護をすることにしました」
そんな状態なのに、母は最後まで厳しかった。
「特に『お世話になった方々には、きちんと挨拶しなさい』とか、礼儀に関することはいろいろ教えてもらいました。少しでも長く母に生きてもらいたかったので、『私、絶対に紅白に出られるような歌手になるから。それまでちょっと待っていて』と母に言いました。母も『みーちゃんが紅白に出るまで頑張らなきゃ』と、言ってくれましたが、とうとう天国に旅立ってしまいました」
母の他界から10年後の’16年、丘は所属事務所を移籍し、活動拠点を東京に移した。するとキングレコードから発売された移籍第1弾シングル『霧の川』が7万枚を超えるヒットを記録し、オリコン演歌ランキングで1位を獲得。今年11月には、有楽町・よみうりホールで、ファーストコンサートも開催し、『佐渡の夕笛』や『雨の木屋町』などを熱唱している。
「会場には、父や祖母も駆けつけてくれました。再デビューから13年、ついにコンサートができたことで感無量でした。なにより、昔から応援してくれたファンの方たちが喜んでくださったのもうれしかったです。これまで私の歌手生活は、けっして順調ではありませんでした。今回“紅白出場”という大きな夢をかなえることができたのは、亡き母の言葉や、いままで励ましてくれた大勢の皆さんのおかげだと思います。本当に感謝しかありません。12月31日の本番で、泣かずにいられるか心配ですね。もちろん最後まで歌いきるつもりですが」
そして、丘はこう続ける。
「実は、母の形見の着物があるんです。母が成人式のときに着たもので、私がいつかステージで着られるようにと、リメークしてくれました。青い着物ですので、紅白では着られないのですが、近いうちに袖を通して歌う姿を天国の母に見せたいと思っています」