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「(娘の沙也加は)とにかく歌が好きだったんですよ。むかしはカラオケなんか行くと『いちばん歌がうまいのが僕で、2番目がカミさん、3番目が紗也ちゃんだよ』って言ってたわけ。いまは順番が逆になっちゃった(笑)」

 

そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第66回のゲスト・俳優の神田正輝さん(65)。スキーやダイビングなどの趣味を持つアクティブな神田さん。山小屋のおやじになりたかったという青年が、いつしか“石原軍団”の名俳優に。神田さんとは28年来の仲で、石原プロモーションにもゆかりのある中山がお話を聞きました。

 

中山「沙也加さんとレギュラー番組をやらせてもらっていたことがあって。いろいろなお話もしたんですよ。葛藤がある中で、成長して、すごくしっかりされている」

 

神田「親がよくないからいいんですよ」

 

中山「いやいや、聞くところによると、なるべく時間を作られていたんですよね」

 

神田「なかなか一緒にいられないから、できるだけね。沙也加がうちで誕生日パーティをやっているときに、撮影を中抜けさせていただいて時代劇の格好のまま、プレゼントを渡しに行ったこともあったな」

 

中山「突然マゲ姿のお父さんが(笑)。驚いただろうけどうれしかったでしょうね。あとは子供のころからマスコミのカメラがあって不思議だったというお話も」

 

神田「初めて話した言葉が『マチュコミ』だったから。パパでもママでもなくて、マチュコミ。あれはかわいそうだった。世の中が騒ぎすぎたんだよね。本当は、家庭と外は別にしないといけないと思うんだけど」

 

中山「運動会なんかもすごかったでしょうね」

 

神田「親の格好をして、写真を撮りに来る人もいたけど、やっぱりプロだとわかる。そういう人は外に出てもらったりね。というのは、娘にはわからないように、ふつうにしてあげたかった。そんなこと自体が異常なわけなんだけど、当時は1カ月に1〜2本は『名古屋駅に500万円持ってこい』とか、誘拐の電話もあったから」

 

中山「ひどい話ですね。でもどうですか、いまは同じ世界で活躍されるようになって」

 

神田「舞台をたまに見に行ったりはしますよ。でも最初のころは、歌は聞こえるんだけど、セリフが聞こえないわけ。これを人に言われたら傷つくだろうな、でも親から言われたらもっとイヤだろうなって思いながら、仕事が好きかどうか聞いたら『好きだ』って言うから『じゃあセリフが聞こえるようにもっと勉強しろ』と。そこから1年くらい連絡がなかった(笑)」

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