「卓球は5歳から始めました。両親ともに卓球の選手で、両親が立ち上げたスポーツ少年団に所属していました。兄や妹も含め、家族全員が卓球をやっていて、家にも卓球台がありました。卓球一家ですね」
そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第67回のゲスト・リオ五輪「男子シングルス」銅メダル、「男子団体」銀メダルを獲得した卓球の水谷隼選手(27)。忙しいテレビ出演の合間を縫って、中山との対談に登場してくれました。
中山「真剣に卓球に取り組んだのはいつから?」
水谷「小学1年生のとき、全日本選手権で小学2年生以下の部で2位になったんです。その翌年には優勝。以降、ずっと優勝を重ねていきました。本気で打ち込んだのは、14歳でドイツに留学したころからでしょうか。中学2年から大学1年までの5年間ドイツにいて、それから3年間は中国に行きました」
中山「卓球のトップ選手って、みんな小さいころには始めているものなんですか?」
水谷「みんな5〜6歳までには始めていますね。小学生で全国1位になっていないと、かなり難しいかなと思います」
中山「15歳の伊藤美誠選手も?」
水谷「(福原)愛ちゃんも石川(佳純)もです。なので、ずっと同じ顔ぶれなんです。20年以上ずっと一緒で、小さいころから会っているので、みんな仲がいいですよ。幼なじみみたいな感じです」
中山「小さいころの練習量は?」
水谷「毎日5〜6時間は当たり前ですね。学校から帰ってきたら、毎日練習。基本的に休みはないですよ。日曜や連休には県外に出て、強豪の高校やクラブでの出稽古に行って、もまれてくるんです」
中山「家族旅行をした思い出はあります?」
水谷「ほとんどないですね」
中山「そこまでしなきゃ、世界で戦えるレベルになれないんですね」
水谷「とにかく練習量は多いですね」
中山「嫌になったことって、あります?」
水谷「当然ありますよ(笑)。小学生だと、放課後になると、同級生はみんな外でサッカーをしたり集まってゲームをしたりして遊んでいる。僕もその輪に入っていたら、親が迎えに来て、『はい、練習行くぞ』って捕まえられて。『もうヤダなぁ』と思っていたことはありました」
中山「遊び盛りの子どもを連れていくのは酷だってご両親も十分わかっている。それでもやらせるっていうのもすごいですよ。反抗はしなかったんですか?」
水谷「ほとんどしなかったですね。怖かったので、やっぱり逆らえなかった。負けるとすっごく怒られるし、親の機嫌も家族の雰囲気も悪くなる。勝つしか方法がなかったので、必死でした。練習中でさえ、負けると怒られていました。『練習のときから勝たなきゃダメなんだ』って」