「私たちは結婚当初から、お互いによく話す夫婦でした。その日に誰と会ったか、旅行先で何が起こったかなど、全部話すんです。作家ですから、会話にも描写力はあるんでしょうね。本当によく笑いましたもの。結婚から63年、会話が私たち夫婦にとって最大の娯楽でした。安上がりでいいんですよ」
こう話すのは、作家の曽野綾子さん(85)。今年2月3日、作家で文化庁長官などの数々の公務も務めた三浦朱門さんが間質性肺炎で亡くなった。享年91.三浦さんは’15年春ごろから、さまざまな機能障害に見舞われるようになり、その年の秋に検査入院。そして退院以降、妻の曽野さんの在宅介護生活が始まった。夫婦で1年以上、いっしょに過ごした部屋には、現在は三浦さんの遺影が飾られている。
「晩年の夫は、よく転び、顔にあざを作っていました。知人や弁護士さんたちから理由を聞かれるたびに、うれしそうに『女房に殴られたんです』と答えていました。うちはユーモアだらけなんです。妻にいじめられているかわいそうな男だということをアピールし、女性たちの同情を買って、あわよくばモテようとしていたんでしょうね」
肺炎を発症し、三浦さんの容体が急変したのは、三浦さんが施設にショートステイしている1月25日のことだった。
「ですから私は彼に言いました。『あなた、ここは(ショートステイしていた)ホームじゃなくて病院なのよ。看護師さんたちも、まだおなじみでない方なのよ。だから女房に殴られた話は、初めからしっかり言わないと浸透しないわよ』。すると夫は『あれはもう古びたから、新しいのにする』と言って……。彼が意識を失う直前のことですけど、どう言えば女房がひどい女であることを伝えられるか、新しいバージョンを考えていたんです。最後の最後まで、遊びを続けてくれていて、ほっとしています。両親の仲が悪く、私は暗い家庭で育ちましたので、なんでもいいから明るい家庭を作りたいと思っていました。そこまでわかって三浦と結婚したわけではありませんが、結果としてそういう家になったことは感謝しています」
三浦さんは、入院から1週間後に逝去。クリスチャンだった三浦さんの葬儀のミサは、自宅の介護部屋で営まれた。
「三浦が亡くなった後、私が悲しんで少しはしおらしくしているのではないかと考えていた友達もおられたようですが、私は少なくとも外面では変わっていないように見えたと思います。内面の変化のことは、いずれ私が書くべきことですから。彼が生きていたら、きっと望んでいたであろう、これまでと変わらない、ふつうの生活を続けることを私は選んだようですね。もし彼が、あの世から私を見ることがあったら、自分が見慣れた同じ生活が続けられているほうが安心するでしょうから。夫の死後5日目にも、オペラを見るために外出しました。三浦は必ずこう言う人なんです」
『君がオペラに行くのをやめれば、僕が生き返るのか?』--。
「声といっても、霊的なものではありませんよ。私たちは63年間ずっと会話を積み重ねてきました。だから夫が元気だったら、どう言うかということは、だいたい間違いなくわかるんです。声の内容は、おもにそのとき起きたことに対する反応ですね」