小西博之(57・以下小西)「僕が自分のがんを受け入れることができたのは、大将の教えがあったからです。大将は常々、『小西、人生は50対50だよ。どんな人でも幸せと不幸せは同じようにくるんだよ』と、話してくれていましたよね」
萩本欽一(76・以下萩本)「人は悪いことがあれば、嘆き、悲しむ。落ち込んでもいい。けれどその不幸せは拒絶せずに、きちんと受け止めなければいけない。人生とはそういうものだってね」
小西「大将の人生訓が僕の血肉になったんです。それだけじゃない。視点を変えることで心も変わること、言葉の持つ力を信じること。だからがんになったときも発想を変えたんです。『腎臓にがんができてしまった』を、『2つある腎臓でよかった』。『日本では3人に1人ががんで死ぬ』から『がんになっても3人に2人は助かって生きている』って」
師匠・欽ちゃんの前に日焼けした顔で、はにかみ笑いを見せる小西。欽ちゃんもうれしそうにほほ笑む。末期がんから奇跡の回復を遂げ、がんに立ち向かう心構えと、あきらめない気持ちの実体験をつづった『生きてるだけで150点!』(毎日新聞出版)を7月に出版した小西。その生きざまを大絶賛した師匠の欽ちゃんと、今回本誌で師弟の初対談が実現した。小西ががん告知を受けたのは’04年12月。45歳だった。
年明けにはがんは左の腎臓に縦20センチ横13センチの大きさだと判明。主治医から「この腎臓に圧迫された脾臓が腫れて破裂寸前。椅子から転げ落ちたりしたら、衝撃で破裂し、即死するかもしれない。この瞬間に死んでもおかしくない」と、余命ゼロ宣告を受けた。
小西「僕ね、大将、手術室で麻酔が効き始めたとき、こう挨拶したんです。『先生方に今日この手術室でお会いすることができたのも何かのご縁だと思います。僕は意識がなくなりますが、自分のがんは絶対に治ると信じています。ですからどうか、僕の命を救ってください。お願いします』」
萩本「(小西の言葉を聞いて大きくうなづき)なるほどね〜たくましい!! 小西はずっと勇気がある。僕、その先生と同じ気分だよ。『(小西を)ぜったい助けたい』って、思わせる力があるんだよ」
小西「この挨拶で、医師、看護師さん、全員が泣き出して、手術の開始時間が遅れて仕切り直しになったんです。改めて執刀医の先生の『行くぞ! 小西博之を助けるぞ!』という掛け声とともに手術がはじまったそうです」
9時間半に及ぶ手術で、みぞおちの下から脇腹、胸腔まで大きなV字を描くように50センチにわたり切開。無事に手術を終えた執刀医は「勝利のVサインをつけた」と話した。
萩本「(その傷に触れて)いやぁ、先生にそのせりふを言わせるって。小西は、がんという病を受け入れて、“がんちゃん”と友達になり、“コンビ”を組んで。そして主治医と信頼関係を築いて、それが“トリオ”になった! 素晴らしい“コント”をつくってくれたね」
小西「そして5年後。定期検診で先生から『診断書。自分で読んでみてください』と手渡されたんです。いぶかしむ僕に『涙で読めないから』って。おそるおそる見ると、『異常なし。完治』。僕以上に先生が喜んでくれました」
萩本「治した先生を感動させて泣かせる。コレ小西だけの話じゃなく、多くの人に知ってもらったほうがいいね。そして涙はうれしい涙のほうがいい。粒の大きさも、悲しみよりも喜びの涙のほうが大きいんだ」
73歳で大学に入学し仏教を学んでいる欽ちゃん。6月には新刊『ダメなときほど「言葉」を磨こう』(集英社新書)を出版。11月には初となるドキュメンタリー番組が公開になる。
萩本「大学3年で来年の卒論に向けて準備中なの。70代になって思うのは、人はのんびり余生を過ごす『老人』と、自分がじいさんだと思わない『年寄り』の2手に分かれるね。でも、70ってまだまだ人生のスタートラインなんだよ。小西は病いを乗り越えて、きっと神様から『やることがある』と、何かバトンを渡されたんじゃないかな」
小西「今は、生きているだけで150点です」