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幸せって何かなって最近よく考えます。息子のためにご飯を作っているときとか、子供部屋の掃除をしているときとか、スーパーで買い物をしているときなんかに、ふっと頭を過るんです。若かったころは幸せなんてものは求めていなかったように思います。でも、シングルファザーになって子供を育てねばならぬ宿命を背負ったころからでしょうか、幸せを探している自分が常にそこにいました。

 

幸せってなんだと思いますか? 成功でしょうか? 性的な達成感? 愛する人がいることでしょうか? 子供が成長していく喜びでしょうか? でも、幸せって、ふとしたときに「あ、これかな」と気が付くようなものじゃないかと思うのです。とくに幸せのただ中にいるときには逆に気付きにくいものなんですよね。家族3人で幸せだったときのことをたまに夢なんかで思い出したりします。なんでもないことなんです。そこに家族がいて、ご飯を食べて、笑って、というような日常の出来事。あ、そうだ。幸せって失ってはじめてあれが幸せだったのかな、と気が付くものだったりします。

 

今、ぼくは12歳の男の子と一緒に暮らしています。長いこと2人きりですけど、この生活が結構うまくいってるんです。「パパ、バレーボールやれる?」とよくせがまれます。公園に行き汗を流します。息子が嬉しそうなんです。こういうとき、幸せなのかな、と思ったりしますね。形になっているようでならないもの。目に見えるようで見えないもの。幸せってあまりにささやかすぎて気が付きにくいものなのです。ノーベル賞を受賞した人が幸せだとはもう思わなくなりました。昔の自分が追いかけていたものはこういう類の幸福感でした。でも、これは達成感にすぎないんです。幸せは達成感じゃない。生きる過程にある休憩所です。

 

人が幸せを感じにくいのは、つまり、苦しみの理由がわからないからじゃないでしょうか。苦しみの理由をいつも曖昧に見過ごしているからじゃないか、と思うのです。苦しみから目をそらさず、ぼくは生きてきました。戒めて生きてきたんです。そうしたら、その苦しみの根本を理解できるようになってきました。なんで自分が苦しいのか逃げずに理解につとめれば、あとは難しくないんです。ささやかなことに喜びを感じるようになります。息子が微笑むたびに、これが幸せなんだろうな、と思えるようになっていくわけです。欲張らず、ちゃんと生きていれば、たくさん幸せが見えてくるのだと気付かされるようになったのです。

 

さて、おなかが空きましたね。今日は簡単で美味しいメンチカツを作りたいと思います。でも、ちょっと風変わりなメンチです。おせち料理にたまに入っている硬くて四角いごまがまぶされた鶏肉のパテみたいなものがありますよね。あれを松風焼きと呼びます。あの料理法を利用して鶏メンチカツを作ります。

 

材料:鶏ひき肉300g、あまり辛くない白ねぎ100g、チューブしょうが小さじ半分超、油大さじ1、本みりん大さじ2、味噌大さじ1、砂糖小さじ1、さんしょう少々、白ごま適量、マヨネーズ大さじ1、生クリーム小さじ2、塩・こしょう少々。

 

ボウルに鶏ひき肉、みじん切りにした白ねぎ、しょうが、油、みりん、味噌、砂糖、さんしょう、マヨネーズ、生クリームを入れ粘り気が出るまで手でこねます。最後に塩・こしょう。セルクルを使いせんべい状にしていき、ごまを全面につけ、オーブンシートの上にならべ、予め200度で温めていたオーブンで約15分!(セルクルはなくても大丈夫、手で全て作ることが出来ますよ)パン粉のメンチカツとも違う不思議な和風食感がたまりません。簡単で美味しい松風ふう鶏メンチカツ、ぜひ、お試しください。これこそ、幸せの味です。詳しくはウェブでね。

 

ボナペティ!

 

エッセイで紹介されたレシピは、
辻仁成 子連れロッカー「希望回復大作戦」ムスコ飯<レシピ>で公開中!

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