6月某日 イタリア
「海外でもっとも有名な日本人俳優は誰?」と問われて、私が真っ先に思い浮かべるのはやはり三船敏郎さんです。世界のどんな辺境においても自分が日本人であると告げると「おお、日本といえば、ミフネだな!」というリアクションをされてきました。無論、その〝浸透力〟は、黒澤明という監督の作品の知名度とも結びついています。
『羅生門』『七人の侍』といった往年の作品は、それぞれカンヌやヴェネチアでの映画祭で賞を獲得していますが、黒澤と三船のコンビによって生み出された沢山の名作は、恐らく我々日本人よりも海外の人の方がずっとよく見ているかもしれません。
実際私も、黒澤作品をじっくり見るようになったのは今から30年前にイタリアへ留学してからのことです。母のオーケストラが『乱』という作品の演奏に携わったときも、当時小学生だった私にとっては〝ふーん〟程度の関心しかありませんでした。
近代や現代の日本文学、日本映画に関してさほど強い興味を持っていなかった私は、イタリアへ留学をしてはじめて、周囲のインテリ・イタリア人たちから〝自国文化への知識〟の疎さを散々非難され、一連の黒澤作品(すべてイタリア語吹き替えですが)を見るようになったわけですが、その後、生まれてきた自分の子供に黒澤映画の作品名を付けてしまうくらい、当時の私にとってかけがえのないものとなっていたのでした。
先述したようにミフネの知名度は世界の思いがけないような国にまで蔓延しているわけですが、かつてキューバでサトウキビを刈るボランティアに参加したとき、現場まで運ばれて行くトラックの荷台で私が日本出身であることを周りの人に告げると、そこは『ミフネ』の話題で持ち切りになりました。それを皮切りに彼らとのシンパシーを深められたのがとても嬉しかったのを記憶しています。そう考えると黒澤明という監督の作品の、世界における認知度というのはつくづく凄いものだと感心せずにはいられません。
この2人の関係はイタリアで例えるならフェデリーコ・フェッリーニとマルチェッロ・マストロヤンニにかなり近いものがあると思いますが、監督と、その作品を演じる役者との表現者同士の関係が蜜月のようになる、というのはそう簡単に起こりえることではないはずです。強い個性を持った表現者2人が合体することで名作となった作品は、セルジオ・レオーネとクリント・イーストウッドのマカロニ・ウェスタンなどありますが、一人の俳優が世界に誇る名声を得るに至る大きなきっかけには、彼らが才能を存分に発揮できるような作品を生み出す監督の存在も必至だということがよく判ります。
アメリカの演劇・ミュージカル俳優の夢の頂点でもあるトニー賞にノミネートされた渡辺謙さんは現代の日本における、代表的な国際派俳優であることは間違いありません。彼のスクリーン上でのインパクトは、なかなか誰にでも醸し出せるものではありません。渡辺謙さんには『日本人だから』、『日本人としての』という国籍のくくりを超越した、一人の国際的大俳優としての貫禄が備わっているからこそ『王様と私』というミュージカルにおいて〝タイの王様〟役に抜擢されたわけです。
かつて、私が好きな〝無国籍俳優〟仲代達矢さんは、イタリア製マカロニウエスタン映画で、メキシコインディアンの血を引く殺し屋役を演じたことがありました。
三船敏郎も、メキシコ映画で飲んべえのろくでなしメキシコオヤジを演じたことがあります。その映画の中では彼はとにかくソンブレロを被ったメキシコ人に徹していて、日本人であることを露顕させる必然性は一抹もありませんでした。そのせいか、日本ではこの映画は他の作品に比べてそれほど話題にもなっていなかったようですが、このメキシコ映画の前に彼がスターウォーズのオビ・ワン・ケノービ役を断ったことなども含めて、三船敏郎が真の国際派だったということは、そういった経歴からも立証されます。
日本の俳優は、他のアジア系の俳優に比べて、〝日本への思い〟〝日本人のメンタル〟というこだわりが強いために、ハリウッドなどでもなかなか活躍できない傾向があるという内容のコメントをどこかで読みましたが、確かに中国人女優が日本の芸者を演じたハリウッド映画の記憶も我々にはまだ新しいはずです。
映画や舞台に限らず、学術畑でも企業においてもそうですが、アメリカのような実力主義の国で頭角を表すには、時には日本で美徳とされる慎ましさや謙虚さがマイナスになってしまう場合も多々あります。それに加えて、自国を代表する、という代名詞が世界の舞台で活躍しようと思う俳優には負担になることがあるかもしれません。チャン・ツィーが日本人の芸者を演じたこともそうですが、国際舞台で活躍する俳優はどんな国のどんな人間にでもなり得る変化自在なアビリティを備えているのです。
渡辺謙さんはミフネのように名作を生み出す大監督と、何作ものコンビネーションによって注目された役者でもなければ、自己主張の得意なアジア系の俳優のようなダイナミックなアプローチ力だけで現在のポジションを獲得したわけではありません。あの印象的な佇まいや演技力に籠っているインパクトは、まったくの〝渡辺オリジナル〟だと言えるでしょう。
日本人だから、という国籍に縛られることなく、ひとりの〝俳優〟という視点で、渡辺謙さんがこれからもどんどん世界中で大活躍されることを、心から楽しみにしております。