5月某日 北イタリア・パドヴァ
私は普段、漫画の案を考える時とペン入れの作業をする時には必ず音楽をかけます。例えば映画のBGMを聞くと、記憶の中にあるその時のシーンがコマ割で脳裏に映し出されてくるように、音楽の力を借りることで、いろんなイメージがしやすくなるからです。
他の作家の方はどうなのか判りませんが、音楽と創作の密接な結びつきを感じるのは、自分の場合は両親が音楽家だったこともあって、子供の頃からオーケストラ演奏を生で聞かされていたことが関係しているのかもしれません。といっても、母にはそんな高尚な音楽教育の目論みがあったわけではなく、うちは母子家庭だったので、夜にコンサートがある場合、楽団員だった母は、夜に私と妹の娘ふたりきりで留守番をさせる代わりに私たちを仕事場へ同行させ、本番の間は会場の一番前のど真ん中に座らせておくことがありました。
一番前に座らされていると、母が楽器を弾きながら、指揮棒ではなくこちらをじっと見つめているので、それが怖くて音楽が退屈だからと立ち上がったり出て行ったりすることも叶いません。そんな状況の中で、私は様々な交響曲やら何やらを聴きながら、退屈しのぎに、それがBGMとなるような創作を頭の中で思い浮かべるようになっていったのでした。
そんなわけで、今もクラシックに限らず、映画音楽やジャズやブラジルなどのラテン音楽等、好きなものを聴いていると、それがBGMとなるような、某かのストーリーが自然と思い浮かんでくるのです。
そんな中でも、特に創作意欲を触発してくれるのが冨田勲さんの音楽作品です。今回はなかなか調子が上がらないな、という時には、とにかく冨田勲さんの音楽を聞くことで、例えそれが大河ドラマ「勝海舟」や「徳川家康」のテーマであろうと、「リボンの騎士」のテーマであろうと、必ず某かのイメージが脳裏に浮かんでくるのです。
冨田さんの曲を聞いて、私は大人になったら絶対にアフリカで動物と暮らすんだ、と心に決めていた
今年の冒頭、とあるラジオ番組で自分の新刊を宣伝して頂くのに、ヤマザキさんがいつも聴いているおすすめの3曲をお掛けしたいので選んで来て下さいとリクエストされました。色んなジャンルの曲を1日に何曲も聞いている私にとって、お気に入りの3曲を選択するのはなかなか難しいものがありましたが、なんとか選んだうちの2曲が冨田勲さんのものになってしまいました。
私がお願いしたのは、『新日本紀行』と『ジャングル大帝のテーマ』。もちろん私が好きなのはこれだけには限りません。冨田さんはご存知のように膨大な数のラジオやテレビ番組、それもドラマだけでなくニュース番組のテーマから料理番組、アニメーションにドキュメンタリーといった多岐に渡るジャンルのテーマ曲をつくられていて、しかもそのどれもが素晴らしいのです。そんな中から、敢えてこの2曲を選んだのは、それが恐らく私の人生で最も回数的にたくさん聞いてきたと思われるものだからです。
『新日本紀行』に関しては、私がかつて子供を連れてイタリアから日本へ一時帰国をしていた時に受け持つ事になった地方局のラジオ番組で、放送第1回目の一番最初に掛けた曲でもあります。そのラジオ番組は夕方に放送されるものでしたが、リスナーのほとんどがトラックやタクシーのドライバーとされていました。ディレクターは私が選んだ『新日本紀行』は番組的にマッチングしないのではと若干懐疑的だったはずですが(しかも他局の番組だし)、それでもそれを記念すべき第1曲目として流せたことで、やったことの無い仕事に挑もうとする私のやる気テンションも一気に上がったのを思い出します。
今も、世界のどこで車を運転していようと、あの曲をかければその途端に目の前には日本の里山の風景が広がり、線路の上を進む蒸気機関車の警笛が聞こえてくるような気持ちになります。窓の外がシカゴの摩天楼だろうと、ポルトガルの港だろうと、イタリアの遺跡だろうと、慎ましくも深い自然に覆われた日本という国の美しさはどこにもかなわないなあ……というノスタルジックな感慨にどっぷりと浸れるのです。
ジャングル大帝のテーマにいたっては、まずそれが私にとって手塚治虫の作品の中でも突出して大好きな漫画作品、そしてアニメであることも大きいですが、その素晴らしい内容を更に深く、更に広大に、そして更にドラマチックに演出してくれる冨田氏の音楽は、私にとってはベートーヴェンやチャイコフスキーも上回る至上の作品なのでした。
ジャングル大帝はテーマ曲だけに限らず、挿入曲もエンディングもすばらしくて、多分世界のどの作曲家もあのような音でアフリカという大地と空を演出することはできないだろうと、確信すらしています。あのアニメのおかげで、私は大人になったら絶対にアフリカで動物と暮らすんだ、と心に決めていた程でした(この宣言は母も覚えていて、うちの子供はいずれアフリカへ行くんだなあと半ば信じていたそうです)。実際、あの曲の中で用いられるパーカッションセクションに強く惹かれたことが理由で、その後の私はブラジルやキューバなどの音楽にのめり込んでいくようにもなっていきました。
冨田勲さんの曲を聞いていると、それはまるで卓越した物語の語り部のように、耳にしている私たちの目の前で展開される映像を、色鮮やかに映し出してくれます。説明も歌詞もない楽曲であっても、音のひとつひとつが明らかに、映像の中の物語を煌びやかに象ってくれるような気がするのです。
例えばNHK番組の『きょうの料理』など、番組開始当初即効でテーマ曲を作れと言われた冨田氏が、そこで手の空いていたのがマリンバ奏者しかいなかったという理由で作ったらしいのですが、それであの、昭和のお惣菜感というのか、お料理をする奥様感というのか、あんな一曲を作り上げてしまうのだから、やはり冨田勲という人自身のイマジネーションや感性が尋常ではなかったことが伺えます。
ラジオやテレビという狭い箱の中の限定的な世界を、どこまでも広がるスペクタクルなエンターテインメントとして比類ない演出を叶えてくれた冨田勲さんの音楽は、私にとって、そして多くの日本の人たちにとって掛け替えの無いものです。お亡くなりになられたことでひとつの時代がまた終わったんだな、という淋しい気持ちにはなりましたが、冨田氏の残した沢山の素晴らしい音は間違いなく永遠に、それを耳にする人々へ感動を与え続けていくのでしょう。