6月某日 東京
日本に帰国してからというもの、仕事で滞在した九州の大雨だったり、都知事の辞職やイギリスEU離脱など、穏やかになれない出来事が続いておりますが、ふと気がつくと街中には参院選のポスターが貼り出されたりもしています。そういえば今回から投票権が18歳以上になったんだっけ、と思いながら、ふと自分の18歳を振り返ると、改正された公職選挙法に対して微妙な不安のようなものが芽生えてくるのを抑えられません。
17歳でイタリアでの留学を始めた頃、現地で知り合いになった地元の年輩の文化人たちに自分の世間知らずさを呆れられた苦い思い出は、今も忘れる事ができません。私は日本の高校を途中で止め、絵で生きて行くという姿勢が日本ほど卑下しなくてもいい土地に移り住み、これからは存分に自分のやりたいことができると意気込んでいる最中だったので、現地の小説家や画家のおじさんやおじいさんたちから一斉に「自分の国の事も世界で起っている事も何も知らないで、一体どんな人の心を掴む絵を描くっていうんだ! お前の空想だけで描かれた絵なんて、自己満足に留まるだけで誰も欲しいと思わないぞ」と言われたときは、一気に出鼻をくじかれた気持ちになってしまいました。
〝厄介な国に来てしまったなあ〟という弱気を、〝だいたい絵を描くのに社会の情勢や政治なんて何の関係があるんだろう!? 偉そうに!〟と反発する気持ちを抱く事で、自分の意志を防御したのを覚えています。
フィレンツェの文化人たちにはそう言われた私ではありますが、日本においては、他の家よりは子供の頃から少なからず『社会』の性質というものをある程度認識していた自負はありました。我が家は母子家庭でしたが、母親は2社の新聞を取り寄せていて、毎朝それをガサガサと読み比べ、腑に落ちない記事に対してはまだ子供だった私にも構わず、心中の思いを吐露するような人でした。なので、世界や日本での事象、そしてニュースの記事は鵜呑みにするものではない、程度の認識はあったのです。
しかしイタリアへやってきて、文化人の集いに参加すればそこで交わされている話は絵や作家の事ではなく、当時イタリアを率いていたキリスト教民主党とイタリア共産党の話題や、誰々はファシストだの、誰々は元パルチザンだの、右派だ左派だとそんな事ばかり。イタリア以外の欧州の国や、米国、そして南米や中東からの亡命作家も何人か混ざっていたので、そこに彼等のイタリアとはまた違った社会への思想などが盛り込まれ、サロンは訪れる度に熱い議論が交わされていました。
私はもともとイタリアという国に憧れて移住したわけではありません。様々な事情が操作してこの国が自分の留学先になってしまったのですが、それでもそれまで思い描いていた、芸術と花の都フィレンツェのイメージからは程遠い、これらの文化人たちの態度を見ていると、私は果たして自分がこの国にいるのは正しい事なのかどうか不安にすらなりました。
当時付き合っていた私より4歳年上の詩人の彼氏からも、毎日のように自分の世間知らずを嘲笑されていましたが、その後この人と暮らし始めた事で私は様々な社会や経済問題に直面し、悩んだり苦しんだり失望したりしながら、自然と政治に対する関心を強めていくようになっていったのです。
例えば私の母にしても昭和一桁生まれで、戦争を始めとする様々な苦境を乗り越え、その後誰の助けも借りず女手一つで働きながら子育てをするという態勢を取っていく上で、いつの間にか新聞を読み比べたりするような人になってしまったはずであり、そんなふうに人間の経験値や熟成に伴って必然として浸透してくるのが、社会への関心というものなのではないかと思います。
投票や選挙重要なのは票数以外の何物でもない
だから平和な国のひとつと言える日本で育った17歳の私が、何も世の中の構造について詳しい事を判っていなかったとしても、それは仕方の無かった事だと言えるでしょう。
逆に17年しか生きていないのに社会の政治体制について臆せず語れるような人間なんて、世界がこれだけ広くてもそう簡単にいるものではありません。いたらいたで、その人物越しに、どこか不自然なバックグラウンドを感じざるを得なくなるでしょう。
例えば現在の中東など、戦争や容赦のない残酷さと直面している国の若者は、おそらく日本や欧州といった国の若者に比べて、もっと深く社会のあり方と向き合っているでしょうし、将来を平和なものにしたい、辛さを強いられない社会にしたい、という思い入れも他の国の人々よりも何倍も強いはずです。将来を生き抜いて行く為にも、自分の事だけ考えていればいい、という心理ではなくなってくるでしょう。移民として自国を逃れても、受け入れてくれる国が無い、その理由を追求した時には、否が応でも自分たちには不利な、そういったそれぞれの国々を支える政治体制や思想といったものを、十代であっても必然的に認識しなくてはならなくなるでしょう。
今回のイギリスのEU残留・離脱を巡る国民投票は接戦となり、最終的には離脱が決まったわけですが、私のイタリアの親戚筋には少なくとも3人程が現在ロンドンで就労しています。彼等にとってイギリスのEU離脱は明らかに不利なものとなり、仕事をしながら滞在し続けていくのなら今まで無くて良かった問題と直面していくことにもなるはずです。身近にイギリスという国や欧州が関与している人にとっては実に深刻な展開となった今回の国民投票ですが、日本では遠く離れたイギリスという国と、EUとのかかわりがどういうものなのか、なぜ国民投票をする顛末にまでなったのか、よく把握できていない人たちも沢山いるはずです。
それどころか、今回の件のニュースを追っていると、イギリスに住んでいるイギリス国民ですら、投票をした後になってEU残留・離脱の意味を確認した人たちも少なくなかったらしく、離脱が決まった後で「もう一度やり直したい!」と訴える人たちもいるというのです。離脱派が勝利した後になって、ネットでの検索ワードのトップが「EU離脱は何を意味するか?」であり、2番目が「EUとは?」だったというのは、かなり衝撃的な事実と言えるでしょう。
投票や選挙というのは、もともとそういう要素を備え持ったものではあります。政治に対して過剰に強い関心や思想がある人から、全く無関心な人に至るまで、それがバラバラな意識が集められた結果であろうと、とりあえずここで重要なのは票数以外の何物でもありません。票数が全てを決めるのです。なので結果が出た後になって「もう一度やり直したい!」と言ったところで為す術はありません。
今回の日本の参院選から18歳以上に引き下げられた選挙権が一体どう結果に反映するのか全く憶測できませんが、少なくとも日本における18歳という年齢のあり方はシリア人の18歳とは意味が違います。
18歳という若者が抱える今の日本社会への思想の反映が少しでも感じられる結果になるのか……。少なくとも自分の過去を振り返ると、18歳という年齢の持つ社会への関心度や真剣さに、不安や心細さを払拭するのは今のところ難しいようです。