7月某日 北イタリア・パドヴァ
フィレンツェで学生生活を送っていた頃、当時の詩人の彼氏と一緒にバスに乗っていたら、途中の停留所から友人が乗り込んで来た事がありました。我々を見つけてそばに寄ってきたこの友人は、昨日見た映画だったか何かの話を熱心に語り始めたのですが、突然詩人の彼氏がその友人に向かって「おまえ、今日めちゃくちゃ汗臭いんだけど!」と、バス中に響きわたるようなはっきりした声で言った事がありました。
確かにその人の汗臭さには私も気になってはいたのですが、自分を彼の立場に置き換えても、満員のバスの中で面と向かって「おまえ、臭い!」なんて言われた日には一気にマントルあたりまで落ち込んでしまうかもしれないので、例え気になったとしても、とてもそんな強烈な指摘を口にすることはできません。ひたすら我慢あるのみです。
しかし詩人の彼氏は、自分自身に関心を持てない人に対してはいつ嫌われてもいいような発言を平気でしてしまう人だったので、その時も思わずそんな言葉が出て来てしまったのでしょう。
ところが彼氏に臭いといわれたその友人も、動揺したような表情を浮かべるでもなく「それは悪かった、帰ったら即効でシャワーだな」と一言返して、その状態でまた話を続けるのでした。彼氏もその友人のリアクションを見て別に不快そうにするでもなく、そのまま普通におしゃべりをしています。周りの人たちも全くそのやりとりには意に介していない様子でした。でも考えてみたら、真夏のイタリアのバスの中なんてのは、大抵強烈な汗臭さで満たされているので、人間が臭う、というのは当たり前の事として意に介するほどでもないのでしょう。
そういえば、西洋の人種は日本の人たちに比べて体臭のある人が多いと言われます。私はもう海外暮らしが長いので、前述のバスの中のように体臭のある人がいてもあまり気に留めない性質になってきていますが、日本のように無臭系の体質が多い人種にとっては、人間の体の臭いは気になり易いものなのかもしれません。
無論、海外でも体臭は人に不快感を与えるものと思われてはいますから、身だしなみとして、汗臭を抑えるためのデオドラント商品も沢山発売されています。ただそんなデオドラント製品を使ったところで、やはり人間の体臭を長時間、完全に抑制することはできません。人間のいるところには、人間の臭いがする。犬がいれば犬の臭いがするように、それはもう生き物のあり方として向き合っていくしかないと判断しているからでしょう。
ちなみに、日本人は他国の人に比べてことさら臭覚が敏感にできていて、微妙な臭いであっても「臭い!」と思ってしまう傾向が強いのだそうです。日本ではよく中年以降の人たちが気にする“加齢臭”なんてのも海外ではほぼ聞いた事がありません。「お爺さんっぽい臭い」という表現はあっても、それは決して不快な部類の臭いではないのです。
逆に、欧米の人がよく気にするのが口臭です。口臭と限らず海外では食事の仕方も、食べ方もいろいろとマナーがうるさいですが、口の中から漂う臭いに関しては特に気にする傾向が強いかもしれません。実際、海外の人が日本に来て気になるのは日本人の口臭だという統計があるそうですが、臭いというものの捉え方は千差万別と言えます。
イタリアで硫黄臭を大非難されて悲しい気持ちに
ところで、昨今の日本では人様に不快感を与える対策として、様々なデオドラント商品が横行しているそうですが、私も先日、たいへん蒸し暑い日に一緒にいた友人から「これ使ってみなよ、爽快だから!」と極寒ボディシートなるものをすすめられて使ってみました。ちょっと首筋をそれで撫でてみただけで冷たいタオルを当てたような清涼感がみなぎり、思わず感動してしまいましたが、イタリアに持って帰ろうかとお店で物色してみると、このボディシートなるものの種類は数知れず、香りもフローラル系からせっけん系、トロピカルマリンだのシトラスフルーツ、虫除け効果もあるユーカリ系,シトロネラ系など多種多様。かなり細分化され、中には私も大好きな「ガリガリ君」のソーダ味をモチーフとしたボディシートなるものも存在するようです。
しかしですね、こういったそれぞれの嗜好に適した素敵な香りのボディシートで体を拭った人々が満員電車等に乗ったらいったい全体どんなことになるのでしょう。フローラルにミントにせっけんにガリガリにユーカリ……。
臭いを消すつもりで別の臭いをまとう、この概念は香水というものが誕生した理由そのものでもあるわけですが、それにしても臭いに敏感なはずの日本人が、このボディシートミックス臭に果たしてどこまで耐えていけるのか気になります。人間の汗臭さミックスに比べれば、まだガリガリやフローラルの混ざったもののほうがいい、ということになるのでしょうか。
そういえば、私は温泉を想像させてくれる硫黄臭が大好きで、よくヒマラヤ岩塩や硫黄泉の入浴剤のお風呂に浸かったりしますが、イタリアでそれをやると「くせえ!!!」と大非難されて大変悲しい気持ちになります。硫黄臭程自分を心底からリラックスさせてくれる安堵の香りはないというのに、その気持ちは容易に分かち合えません。硫黄臭のボディシートがあれば、私は間違いなく朝から晩までそのシートで体中を吹きまくりそうですが、日本であっても硫黄臭が全身から漂う人間に電車に乗り込まれると、いくら温泉大国であっても大ひんしゅくを買いそうです。
人間の香りへの嗜好性がある程度一致しない限り、我々が不快感を持たずに公共交通機関や、人の集まるところで過ごせる可能性は望めそうにもありません。どうってことなさそうだけど、臭いというのは結構重要な問題なのでした。