9月某日 東京
幼い時からずっと海外で暮らしている息子が東京に来て、「なぜ日本には女性専用車両があるのに、男性専用車両が無いんだろう」というので、「痴漢の被害の可能性が絶対に無い車両に乗りたい女性もいるからだよ」と応えると、「男性だって痴漢に間違えられる恐怖を抱えているのに不公平だな」という反応。満員電車でやってもいない痴漢の容疑をかけられた知り合いがいるとかで、男性だって女性が混在する車両が有り難くなかったりするのだそう。
確かにそう言われると、知らない異性との密着を強いられる満員電車は女性にとっても気構えが必要ではありますが、同じく男性にとっても不利な誤解を生み易い空間でもあります。
そもそも日本では、家族や友人同士という近しい間柄でも、日常抱き合ったり触れ合ったりする習慣はありません。欧米で見かけるような人前でも堂々といちゃつくカップルを、その辺で普通に見かける事も多くはありません。私など、暮らしているイタリアに日本から母が遊びに来た時も、ハグも握手もせずただ言葉だけで挨拶をしている姿を目のあたりにしたイタリア人の姑から「親子なのに全く触れ合わないのか、信じられない」と呆れられたりしますが、明治時代の父親に育てられた昭和一桁生まれの女性は、血縁であっても気軽に触れ合ったりはしないのです。
家族同士でも滅多に体の接触のない、そんな日本の人々が、満員の通勤電車でどこの誰だかも判らぬ人と体を寄せ合ってじっとしているのは、私にしてみても決して穏やかな光景には見えません。電車の中に押し込められながらも、知らない人たちとぴったりくっついている状態から完全に意識を逸らし、じっと解放されるのを待っている人々の様子は、まるで修行僧のようにも見えてきます。
以前、平均年齢65歳の、親戚を含むイタリアン・オバちゃん11名が日本旅行へやってきた時、浅草寺を見た後で新宿のホテルに戻るタイミングがちょうど帰宅ラッシュ時間と重なってしまいました。しかし彼女たちにとってはぎゅうぎゅうの電車に押し込められる事も、あくまでテレビやガイドブックで紹介されている“日本ならでは”な光景。しんと静まり返った車内に飛び交う、イタリアン・オバちゃんたちの歓呼と興奮の入り交じった声に、通勤客も戸惑いの表情を浮かべています。
「ねえ、なんでこんなにぎゅうぎゅう詰めなのに皆黙ってんのかしら。あ、そうか、これもゼン・スピリット?」と興味深そうに周りを見回すオバちゃんもいれば、「いやあ、うちの旦那とも最近こんなにくっついてないわよ、旦那を嫉妬させたいから誰か今のあたしの写真撮ってよ、ガハハハ」と、いかにも迷惑そうな顔をしているおっさんのとなりで満面の笑みで盛り上がるオバちゃん。「ところで、あんたんところのパスタソースって、トマトの水煮缶使ってんの?」「うちは裏ごししたやつにしてる」なんて会話まで飛び交い始め、車内は異様な雰囲気に。
こんな様子の会話が延々と満員電車の中に響きわたっていたので、思わず「周りの人たちも疲れているから、大声で喋らないようにしてください」と制すると「何よそれ! せめて誰かと喋ってないと、とてもじゃないけどこんな苦しいのに耐えられないわよ。そんなこと言うならもう降りましょ!」と言い出す始末。
イタリアン・オバちゃんを連れての満員電車での移動は二度としたくない体験ではありますが、普段家族同士や友人同士でもぎゅうぎゅう抱き合っているイタリア人ですら驚く程、他人との体の密着度の高い日本の満員電車は、そういったシチュエーション自体がかなり特殊なものと言えるでしょう。
周りの人に迷惑をかけてはいけない日本のマナーが、加害者の蔓延を促している?
もちろん満員電車やバスは世界中にありますし、どこの世界でもそういう場所では痴漢騒ぎも起ります。私もイタリアでの留学を始めた時分に、それ程混んでもいないバスの中で痴漢に遭ったことがあります。お尻を触られている違和感を感じ、でも気のせいかもしれないと思って最初はバスの中で点々と居場所を変えていたのですが、その男も移動する私の背後にぴったりとくっついてきて、やはりお尻のあたりで手をもぞもぞさせています。
ああこれは明らかに痴漢だと判断した私は、「この野郎いいかげんにしろ!」と、ただでさえ低い声を更に低くした大声のイタリア語スラングで振り返ったわけですが、突然男は脂汗の浮かんだ顔を強張らせ「俺は何もしていない、何だ、この女はおかしい」などと正当性を主張。ハラが立ったので、次の停留所でバスが止まった瞬間、わたしはこの男をドアの外に向かって思い切り蹴り出しました。
その光景を見ていたバスの乗客が思いの他淡白で、私は何やら気まずい悲しさに満たされ、家に戻った後は気が抜けて泣き出してしまいましたが、痴漢の思い出というのは決して簡単には払拭できません。今でもあの時の自分なりの孤独な戦いを思い出すと、じんわりと辛い気持ちになってしまいます。
昔暮らしていたエジプトでも地元の女性に「バスに乗る時は痴漢に気を付けるのよ、けっこう沢山いるからね!」と忠告されたこともありますし、ブラジルでもポルトガルでも痴漢被害にあった知り合いが居ます。痴漢はおそらくどの時代のどの国にも存在したものであり、調べてみると痴漢やいやがらせを考慮した“女性専用車両”はイギリスやロシアなど、様々な国にも存在するようです。
ある統計によると、日本の女性の痴漢遭遇率は全体の6割以上で、加害者は大抵大人しそうで声を上げる勇気の無さそうな様子の女性を、ターゲットとして選ぶ傾向があるとされているようです。確かに、満員電車でトマトの水煮缶の話を大声のイタリア語で交わすイタリアン・オバちゃんたちが痴漢に遭う事は全く想像できません。まかり間違ってそんな行為に及ぶ者が現れでもしたら、加害者にとっても一生トラウマになるような大騒ぎが発生するでしょう。
そう考えると、もしかすると、満員電車というものが、皆が普通におしゃべりを交わせる環境であったなら、痴漢率も減るのではないかという気もしてきます。実際、どんなに大人しそうに見えても、お隣の誰かと話をしていつでも助けを求められそうな女性に痴漢は近づきたくないかもしれません。車内おしゃべりが日常化してしまえば痴漢も発生しにくくなり、車両を分ける必然性も無くなる可能性があります。
周りの人に迷惑をかけてはいけないのが、日本における公共交通機関の絶対的なマナーです。その意識が、加害者の蔓延を促しているというのも皮肉な話ですが……。
先日テレビで女性に痴漢対策の護身術を教える女性が「とにかく低い声で制することです。相手が驚くくらい低い声ではっきりと」と言っている番組を見て、なるほどと思いました。「やめてください」のたった一言を、か弱い女性らしさで発言するのと、ドスの利いた姐御風に発言するのとでは、相手の反応も大きく違ってくる事でしょう。私は普段でも声がとても低く、そのつもりもないのに怒っていると思われた事が何度もありますが、低い声に相手を牽制する効果があるのは、自分の経験上でも確証できます。なので、もし運悪く痴漢に遭遇した時は〝ドス声〟で対応すると効果はあるかもしれませんよ。