18言語196カ国で展開しているオンライン署名サイト「change.org」(以下、チェンジ)は、ネットで“賛同”を集めて「社会問題」の解決を図る、新しい形の市民運動だ。「『はだしのゲン』を図書館で自由に読めるように」など、日本でのキャンペーンを運営しているのはハリス鈴木絵美さん(29)。
彼女は幼いころから「1番」を目指し、米イェール大学、マッキンゼー社と超エリート街道を歩いていたが、身も心も疲れ果てドロップアウト。その暗闇の中で見つけたのは「社会貢献」への情熱と、“ハーフとしてのプライド”だったーー。
絵美さんは、日本人の母・清子さん(63)とアメリカ人の父・ダン・W・ハリスさん(67)の間に生まれた長女。3歳下に弟がいる。ダンさんは高校卒業と同時にアメリカ空軍に入隊し、横田基地で4年間働いて22歳で上智大学に入学。そこで清子さんと出会う。ダンさんはハーバード大学のビジネススクールでも学び、日米で活躍。清子さんはパンナムの客室乗務員になり、24歳でダンさんと結婚。その後、33歳で専業主婦に。
「キャリア志向のママの教えは、女性は自立しなければならないということ。それは、私にとっては、いい成績を修めてよい学校に進み、一流企業で働くエリートのイメージでした」(絵美さん・以下同)
アメリカンスクールに入学した絵美さんは、イメージどおりの優等生だった。成績は常にトップクラス。ホッケーやテニス部ではキャプテンを務めた。しかしーー。
「すごく嫌な女だったと思います。勉強も部活も全部でき、私はそれを鼻にかけ、できないコを見下していました。フツーに自己中心的。視野が狭くて、上りのエスカレーターから見える範囲だけしか見えていませんでした」
今では、市民運動を支える立場の彼女だが、当時は社会的弱者や貧困問題に目もくれなかった。社会問題の存在にすら気づかなかったという。その原因は、親へと向かう。
「仕事や勉強を一生懸命頑張るという面では、親から教わった部分が大きいけれど、なぜ、頑張るのか、自分が得た財産を、社会にどう投資するのかという視点が、親の教育に抜けていました。物質的に何も問題なく育てられ、それに満足すべきでしょうが、私はもっと心を入れてほしかった。親は私に心を入れ忘れていたんです」
彼女が親を攻撃する理由はもうひとつある。絵美さんが中学に通うころから、両親の不仲が顕著になったのだ。結局、両親は娘の卒業を待って離婚した。
‘02年9月、絵美さんは名門イェール大学に進学。大学では演劇のプロデュースに熱中。卒業後に就職したのは有名なコンサルティング会社のマッキンゼー。しかし、頑張るうちに体に異変が現れた。首がしびれ始め、その痛みが腕から肩へと広がり、最後には腰が急激に悪くなった。体が仕事に対して拒否反応を示しているとしか思えなかった。
目的があって入社したわけではないから、あきらめも早い。絵美さんはマッキンゼーを退社した。’08年夏、絵美さんは、バラク・オバマ氏(52)の選挙運動キャンペーンにフルタイムでボランティアに参加。「オバマの講演に初めて行ったとき、特に私の心に入ってきたのは『キミは何がしたいんだ?』のひと言でした」。私は何がしたいのか。オバマの問いかけが、絵美さんの心を揺さぶった。
絵美さんたちボランティアの地道な努力が実り、’08年11月4日、ついにアメリカ初の黒人大統領が誕生する。翌’09年1月の大統領就任パーティの演説は、生涯忘れないだろう。オバマ大統領は言った。
「自分たちでできるんだという気持ちを、経験を、絶対に忘れてほしくない。キミたちの人生において、自分たちの力を信じてほしい。それさえあれば、キミたちは何でもできる。キミたちが協力し合えば、世界は変えられる」
みんな号泣した。絵美さんも号泣した。空っぽだった胸の空洞に、初めて「心」が入った瞬間だった。
‘09年8月、パーパス社に立ち上げスタッフとして入社。NGOや国際財団の戦略コンサルタントとして働きながら、環境問題にしだいに目が向くようになっていた。そして、3年間働いたパーパス社を退社する。
「そのころから私が社会貢献できるのは日本ではないのかと思い始めていました。私は、まだ、日本人という自分の半分のアイデンティティを生かしていない。そこには、ハーフのプライドもあるんです」
昨年2月、チェンジがアジアに進出すると知り、日本のキャンペーンディレクターに応募。帰国した。母・清子さんは「絵美が帰ってきてくれて本当によかった。私はメチャクチャ幸せです」と喜んだ。また、父・ダンさんとも、月に2~3度会うようになった。
2年目に入ったチェンジ。スタッフは2人になったが、絵美さんの多忙さは変わらない。彼女の仕事はサイトの管理と更新、キャンペーン発信者や賛同者への対応など。チェンジの名前を広めるため、メディアに顔出しするのも重要な任務だ。
「日本に帰って1年ですが、極端だなと感じるのは、日本の女性が政治に参加していないこと。人口の50%以上が活用されていない国ですよね。謙虚さはよいのですが、遠慮すればアウトカム(成果)は悪くなります。意見することに価値があると私は思います。おかしいと思うことは主張しなければいけないんです」