太平洋の中央に、オアフ島、マウイ島、カウアイ島など、8つの島を連ねたアメリカ合衆国ハワイ州。その最南端に位置するのがハワイ島。その東海岸にヒロがある。ヒロ空港から車を走らせること10分。いきなり巨大な鳥居が目に飛び込んできた。参道の右手には手水舎、星条旗が風になびいている。ヒロ大神宮だ。
ヒロ大神宮は海外にある神社のなかで最も古い。今年で鎮座117年目を迎えるという。終戦70年の節目の夏、この神社で初めての盆踊りが行われた。
ヒロ大神宮の竣工遷座祭は明治31(1898)年11月3日のこと。日系1世たちの強い希望で創建された。当時の名前は「大和神社」。大和神社創設の2年後。ハワイはアメリカに併合され、時代は2度の世界大戦へと突入。過酷な時代が始まった。
「今年は、戦後70年の節目の年。私は、平和の象徴として、ヒロ大神宮が存続してほしいと願っています。人種も国境も超え、すべての人々が、ハワイ島で暮らす仲間として、いかにひとつになれるのか。だから、神社で盆踊りや祭りを催して、皆で歌い、踊り、平和を寿ぎたい。ここハワイは、日本とアメリカの交差点。神社が人々の相互理解と交流の場であるように、努めていきたいと思っています」(堀田尚宏宮司・35)
ヒロ大神宮の理事長リチャード・クニモトさん(75)は戦争中、まだ、4〜5歳だった。彼の父は1世、母はアメリカ生まれの2世。リチャードさんは、ある日、「日本とアメリカ……どっちが勝ったほうがいい?」と父に聞いた。父はしばらく黙っていたが、「お父さんとお母さんが戦争をしたら、どうする?」と聞いてきたという。即座に彼は、「そんな戦いはイヤだ。日本は父の国。アメリカは母の国。戦ってほしくない」と答えると、父は「私もそうだよ」と静かにほほ笑んだ。
日系人の誰もが同じ思いだったろう。しかし、戦争は起こってしまった。そのとき2世たちが出した答えが、442連隊であり、ミリタリー情報サービスだった。442連隊は、開戦前に同じくハワイ日系2世たちで編成された100歩兵大隊とともに、ヨーロッパ戦線の最前線に送られた。死傷者率314%(延べ死傷者数9千486人)という文字どおり決死隊だった。情報サービスでは、6千人以上の2世が通訳として、暗号を解読し、収容者を尋問し、機密文書の翻訳を手がけた。
100歩兵大隊・442連隊の命を懸けた功績は大きな実を結ぶ。彼らの帰還後、トルーマン大統領は442連隊に、「諸君は敵だけでなく、偏見とも戦い、それに勝利した」と、言葉を贈った。その後、クリントン大統領やオバマ大統領も、彼らに勲章を授与している。
2世たちは苦難の果てに自由を勝ち取った。1世も2世もアメリカ国籍を取得でき、不当な差別に対する賠償令が可決され、米国政府は彼らに謝罪。日系人も土地を持ち職業を選ぶ自由も得るなど、さまざまな不平等が撤廃された。
モリス・ナカイシさん(87)は、こう証言する。
「母が熊本に里帰り中に僕が生まれ、だから、僕は日本国籍。戦争中は、ほかの国からの移民にも『ジャップ』と呼ばれてバカにされました。でも、100歩兵大隊・442連隊が始まって、自然といじめはなくなった。日本人が頑張っていることを、皆が知ったから」
ヒロ大神宮の盆踊りは、そんな日系移民の長い苦難の歴史を経た70年目のお祭りだ。
「戦中、神道神社は“敵性宗教”と見なされ、消滅してもおかしくないものでした。その神社が、今なおハワイに存在する。それは、この地に住む日本人たちが、神社を自分たちのアイデンティティの1つとして、尊重してきたからではないでしょうか」(前出・堀田宮司)