1月7日で没後20年となり、今も昔も若者たちから多大なる支持を受け、影響を与え続けている画家の岡本太郎さんが、女性自身創刊号(昭和33年12月12日発行)にて、若い女性の魅力を語ったコラムを全文公開。
=すべての未来とすべての可能性をもったハイティーンの魅力とは?=
若さの魅力は自信のあるようなないような、しかし未来に向って身を投げ出しているという、何かはらはらするような、危険をはらんだところにある。
ハイティーンの女の子たち特有の、成熟した女性にはまったく見ることのできない特殊な色っぽさがそこにある。
彼女らはふんだんに自信のあるところを示し、また平気で弱さを見せてもよいのだ。少々お行儀がわるくたって、教養がなくたってかまわない。ズケズケものを言っても、生意気であればあるほどかわいい。
若い娘は許される。また許されていることを知っている。
やや無責任な甘え。…しかしその甘さは魅力だ。
何といったって、男は、娼婦的な女性に一番ひかれる。
また女らしい女というのはすべて娼婦的な要素をもっているものだが、ふしぎなことに、もっとも娼婦的な女性というのは、かえって男を知らない若い娘たちの中にいる。
知らない故に、ドキッとするほど大胆だ。また自分で知らずにやってるというところに、男から見るとかえってスリル満点のお色気がある。「昼下がりの情事」のアリアーヌなど、その典型だ。ああいう若い女の子の、何かつかまえどころのないような、ふわふわしたコケットリーには、内心馬鹿にしながら、ちょっとイカレる。
世の娘たちはフンダンに魅力を発揮して、スリルを楽しみ、相手をも楽しませてほしい。それは言うまでもなく一種の危険な遊戯ではあるが。
俗に火遊びというあれだ。だが予測しない危険をともなうからこその情熱である。そういう時に女は信じ難いほど美しくなる。
純粋な心でぶつかれば、どんなに羽目をはずしてもいいし、はずすべきだと思う。もしそこからくる災難があったとすれば、その災難からこそ、人生を学ぶし、豊かになる。
たまらなくニガイかもしれないけど、だがそれは人生を飾る宝石だ。その重みが、かわいらしい小娘から豊かな女性、単なる情事の対象ではない人間的すばらしさに発展させるのだ。
年をとってから若い時代をふりかえってみて、思う存分に青春を生きて来なかったことを悔いる女性がなんと多いことだろう。そんな未練や焦りはみぐるしい。
若いピチピチとした身体、その新鮮さに劣らない、すばらしい夢を、人生に悔いないように、思う存分に花咲かせて欲しい。