「赤ちゃんが救出された家」
「助けてもらったとき、ああ本当に良かった。本当に良かったとそれだけでした。それ以上のことは何も言えません。娘をまた抱くことができて、ただただ、良かったなって心の底から思いました」
地震で崩れた家の中から生後8カ月の赤ちゃんが救出された“奇跡”。赤ちゃんの母親は、救出劇が起こった数時間後、娘が救出された心境を本誌の独占取材にこう語った。救出作業が開始されてから6時間、母はとにかく娘の無事を祈り続けるのみだったという――。
4月14日21時16分、熊本県益城町をマグニチュード(M)6.5、震度7の大地震が襲った。震度7を観測したのは、’11年3月11日の東日本大震災以来の“非常事態”だ。気象庁はこれを「平成28年熊本地震」と命名した。
さらに16日1時25分頃には、同じく熊本県熊本地方を震源とする、マグニチュード7.3(暫定値)、最大震度6強の地震が発生した。この地震が最も大きい“本震”とされ、阿蘇地方や大分県での相次ぐ地震に影響を及ぼした。一連の地震で42人もの死亡者が出た。
実家の倒壊、余震、親族が犠牲になった悲痛……揺れ続ける益城町を、被災翌日の15日に本誌記者は訪れた。数ある報道のなかで、心救われるニュースとなったのが“赤ちゃん救出”。益城町安永地区にあった木造2階建ての家は、地震により2階が崩れ落ち、その影響で1階は潰れかけていた。その1階には、生後8カ月の赤ちゃんが取り残されていた。
母親の通報を受け、消防隊員や警官ら50人以上が現場に駆けつけ、多くの住民が見守るなか、取り残された赤ちゃんの救出作業がはじまった。報じられてはいないが、明美さんは働きながら娘を育てるワーキングママ。その日もいつものように仕事を終え、祖父母ら家族と夜を過ごしていたという。
「この子を1階で寝かしつけて、5分くらいたったときでしたね。やっと寝かしつけたから、座ってお茶でも飲もうかとホッとしたときに、ドーン!と揺れが来たんです」
揺れで家が崩れ始めたとき、娘のもとに走ろうとしたが間に合わなかった。彼女は祖父母らと、潰れた家から抜け出したが、愛娘はがれきで生き埋めになったのだ。
「救助を求めて、通報してからのことはもうほとんど覚えていなくて……。パニック状態のなか、とにかく助かって欲しい、その一心で……」
駆けつけた救出隊が崩れた家のなかに入ろうと試みたが、何度も余震が襲った。いったん家から離れ、救出の手順を検討し直すなど、作業は困難を極めた。しかし救出隊はあきらめなかった。消防隊員と警察官が手作業でがれきをかきわけ、それでもどかせない巨大ながれきは自衛隊がチェーンソーで除去に努めた。
そして、救出作業開始から約6時間が経った15日午前3時45分、「子どもの声が聞こえたぞ!」と救出隊が柱と柱の隙間から赤ちゃんを見つけた。赤ちゃんはほぼ無傷の状態で救出された。赤ちゃんを抱きしめた母は祖父母たちと喜びを噛みしめるようにみんなで泣いたという。母は、救出された娘を抱きながら言う。
「娘はおでこを少し打ったようですけど、大きな怪我もなく安心しています。この子はふだんからあんまり泣かないけど、救助されたときも泣いてなかったことには驚きました。泣かずによく頑張ったね、と声をかけてあげたいです」
すやすやと眠る赤ちゃんにほほえみかけながら、頭をなでる母は、思い出すように話を続けてくれた。
「この子を産むとき、出産予定日よりもだいぶ遅れていました。まだかな、まだかなと生まれる前からずっと待っていたんです。生まれたときはやっと生まれてきてくれたね。って、心の底から思いましたね。それほど、私にとって待望の赤ちゃんだったんです。昨日もだいぶ待ったけど、無事でいてくれて本当に『ありがとう』ですね。これからも丈夫ですこやかな子に育っていってほしいと思います」
彼女は娘と祖父母とともに、今後も熊本県で暮らしていくつもりだという。