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漫画『島耕作』シリーズを作り上げた弘兼憲史氏の仕事論をまとめた『島耕作も、楽じゃない。』(光文社新書)から、「アイディアの鍵」について引用する。

 

 

漫画のアイディアは枯渇しないのか、それを怖れたことはないのかという質問をもらったことがある。

 

漫画家に限らず、クリエイターは自分の感覚が鈍ることが一番怖い。アイディアが途切れたらどうしようかと悩むものだ。

 

私の場合、それについてもあまり思い詰めない。

 

いいアイディアが出ないときは、話の持っていき方でカバーする。これだけ漫画を描き続けてきたということは、自分のアイディアの引き出しを次々と空けているようなものだ。

 

どんなに引き出しを持っていても、いずれなくなる。逆に全て使い切り、切羽詰まったほうが、新しいアイディアが浮かんでくるものだ。

 

アイディアの触媒的な役割を果たすのが映画だ。

 

今は多忙なこともあり、映画をきちんと見ることは少なくなった。かつて、若い頃はかなりの本数を見たものだ。今も寝る前に、ぼんやりと映画を見ている。

 

すごく面白い映画からアイディアが浮かぶこともあれば、まったくB級の映画から、こんなストーリーはどうかと思いつくこともある。

 

映画と漫画はストーリーを元にしているという意味では似ているが、実際の俳優が動くという面では違う。だからこそ、私の頭脳を刺激するのかもしれない。

 

たとえばこんな風だ。

 

『シェーン』という映画がある。

 

舞台は開拓時代のアメリカだ。ワイオミング州の開拓地に、流れ者シェーンがやってきて、農家に住み着いた。農家には夫婦と息子がいた。妻とシェーンは次第に惹かれあうようになる。

 

一帯は悪徳牧畜業者が仕切っており、農民たちを追い出そうと企てていた。シェーンは悪徳牧畜業者と対決し、村を去って行く。シェーンになついていた農家の息子は、「シェーン、カムバック」と叫んだ――。

 

この『シェーン』の舞台を日本、時代劇にする。やはり流れ者が村にやってくる。農家にいつき、妻はその流れ者に惹かれるようになる。そうした設定だけもらい、自由にストーリーを展開する。

 

物語の鍵となる「息子」を出すとシェーンに近づきすぎてしまうので、また違った恋愛関係を入れよう――。そんな風に作っていけば、アイディアがなくなって途方に暮れるなどということはない。

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