漫画『島耕作』シリーズを作り上げた弘兼憲史氏の仕事論をまとめた『島耕作も、楽じゃない。』(光文社新書)から、「アイディアの鍵」について引用する。
※
漫画のアイディアは枯渇しないのか、それを怖れたことはないのかという質問をもらったことがある。
漫画家に限らず、クリエイターは自分の感覚が鈍ることが一番怖い。アイディアが途切れたらどうしようかと悩むものだ。
私の場合、それについてもあまり思い詰めない。
いいアイディアが出ないときは、話の持っていき方でカバーする。これだけ漫画を描き続けてきたということは、自分のアイディアの引き出しを次々と空けているようなものだ。
どんなに引き出しを持っていても、いずれなくなる。逆に全て使い切り、切羽詰まったほうが、新しいアイディアが浮かんでくるものだ。
アイディアの触媒的な役割を果たすのが映画だ。
今は多忙なこともあり、映画をきちんと見ることは少なくなった。かつて、若い頃はかなりの本数を見たものだ。今も寝る前に、ぼんやりと映画を見ている。
すごく面白い映画からアイディアが浮かぶこともあれば、まったくB級の映画から、こんなストーリーはどうかと思いつくこともある。
映画と漫画はストーリーを元にしているという意味では似ているが、実際の俳優が動くという面では違う。だからこそ、私の頭脳を刺激するのかもしれない。
たとえばこんな風だ。
『シェーン』という映画がある。
舞台は開拓時代のアメリカだ。ワイオミング州の開拓地に、流れ者シェーンがやってきて、農家に住み着いた。農家には夫婦と息子がいた。妻とシェーンは次第に惹かれあうようになる。
一帯は悪徳牧畜業者が仕切っており、農民たちを追い出そうと企てていた。シェーンは悪徳牧畜業者と対決し、村を去って行く。シェーンになついていた農家の息子は、「シェーン、カムバック」と叫んだ――。
この『シェーン』の舞台を日本、時代劇にする。やはり流れ者が村にやってくる。農家にいつき、妻はその流れ者に惹かれるようになる。そうした設定だけもらい、自由にストーリーを展開する。
物語の鍵となる「息子」を出すとシェーンに近づきすぎてしまうので、また違った恋愛関係を入れよう――。そんな風に作っていけば、アイディアがなくなって途方に暮れるなどということはない。