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都民ファーストの会“小池新党”が、初の新人公認候補予定者として発表した2人の女性は、ともに「頑張るママ」。しかし、それぞれが置かれている状況や、歩んできた道のりはまったくの別ものだった−−。

 

「100カ所くらい保育園の情報を調べて、少しでも入れる可能性がある園を10カ所以上は見学しました。保育園に預けられないと職場復帰が難しい。必死で“保活”していました。結局入れたのは新設の私立保育園だったんです」

 

自身の苦しい“保活”体験を振り返るのは、女性の生きやすいライフスタイルを提案するキャリアアドバイザーの茜ヶ久保嘉代子さん(41)。キャリアウーマンとして活躍しながら出産を経て、現在も長女(7)の子育て真っ最中の彼女がスポットライトを浴びる日が、近づいている。

 

茜ヶ久保さんは小池百合子東京都知事(64)の政治塾「希望の塾」を受講し、7月の都議選の候補選抜試験を受験。そして3月8日、都知事の会派「都民ファーストの会」が公認候補予定者として、政治経験ゼロの彼女を杉並区選挙区で抜擢すると発表した。

 

’75年福岡県生まれの茜ヶ久保さんは、東京大学に合格して上京。人材育成のベンチャー企業や日本IBMのコンサルティング部門に勤務後、’15年にキャリアアドバイザーとして独立した。プライベートではIBM時代に同僚の男性と結婚し、’09年7月、長女を出産。41歳、バリバリの“ワーキングマザー”が、都議に当選したら真っ先に進めたい政策とは−−。

 

「自分自身が経験してきたので、まず“保活”=待機児童問題などに取り組みたいです。出産後、『どうすれば働き続けられるのか』と道を探すのに苦労しました。ママって1人ではどこにも行けないし、身軽ではない。私のように10カ所以上、保育園を見学して回るのはキツいんです。だから、都内の全保育園の情報が一覧できるサイトなどの情報公開手段を確立して、“見える化”を実現したいです!」(茜ヶ久保さん)

 

フジテレビ社員として、子ども向け番組や親子イベントなどを企画・プロデュースしてきた入江伸子さん(54)も「都民ファーストの会」が擁立する“初の新人候補”の1人だ(港区選挙区)。2人の息子はともに東京大学を卒業し、28歳の長男は研究者、23歳の次男はフジテレビ社員と、立派に育て上げた彼女だが、これまでの半生は、壮絶なものがあった。

 

’62年、東京生まれの入江さんが、夫となるフジテレビ記者の入江敏彦さんと知り合ったのは“お天気お姉さん”としてデビューしたころ。その後、’87年に結婚。’88年に出産した長男が2歳のとき、夫のエジプト・カイロ支局赴任が決まる。それは家族でカイロ生活をし始めてから4年目の出来事だった−−。

 

「’94年12月6日、夫はケニアのナイロビで小型機に乗り込んで、ザイール(当時)のゴマに向かうはずでした。長男の誕生パーティの準備をしていた14時半、突然、日本大使館から《フジテレビのチャーターしたヘリコプターが墜落したというんですが、本当ですか》という電話があって……。すぐにフジテレビ外信部に電話すると、《未確認なんですが、入江君の乗ったチャーター機が墜落したという情報が……》と言うんです……」(入江さん)

 

ナイロビに着くまでの1日半、入江さんは周囲に「大丈夫だよね!?」と何度も確認していたという。しかし−−。

 

「『行ってらっしゃい』と送り出した夫は亡くなっていて、黒焦げでした。でも私は判別できない彼の頭をなでて『よく頑張ったね、私がすべてを見届けるからね』と伝えていました。手が、すすで真っ黒になっちゃって……。でも、髪の毛の一部が残っていました。カイロの自宅で出発前の夫に言われ、私が短く刈った髪でした……」(入江さん)

 

32歳という若いジャーナリスト・入江敏彦さんが“殉職”したという悲しいニュースは、日本でも大きく報じられた。

 

「小池さんはカイロ時代、乗るはずだった飛行機が墜落したり、撃墜されたりという経験が2度あるそうです。それで『失うものはない』と腹をくくったのだと。私も、夫を突然亡くしたあの日に帰れば、怖いものは何もない。子どもを育て上げたいま、第二の人生にトライしなければ。都議になれたら、待機児童の解消、高校の無償化、保育士の給与アップなどを遂行、実行していきたいですね」(入江さん)

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