「こんばんは。寺田でございます。先ほどから懐かしいお顔をたくさん拝見していたら、さっきまでしゃべることを覚えていたのに、忘れてしまいました(笑)」
パーティの冒頭、挨拶に立った認定NPO法人「国境なき子どもたち」会長の寺田朗子さん(71)は、マイクに向かってこう言って、詰めかけたおよそ150人の参加者の笑いを誘った。昨年11月。東京・天王洲運河に浮かぶT-LOTUS M。建築家・隈研吾氏監修の船上スペースではこの日、「国境なき子どもたち」の設立20周年記念チャリティパーティが催されていた。
寺田会長が演壇近くに立つ女性に視線を向ける。
「久子さま、本当にいらしてくださるとは思えなかったのでございますが……お出ましいただきまして、心から御礼申し上げます」
寺田さんのこの謝辞に、この日のサプライズゲスト・高円宮妃久子さまは柔和なほほ笑みで応えられ、寺田さんの挨拶に続いて、マイクを握り、祝辞を述べられた。
「二十歳の門出というより、船出かな? 本当におめでとうございます」
そうして記者に向き直られてこう話された。
「皆さんは、とても意義ある素晴らしい活動をされているなと思います。(子どもたちは)ただ単に自分たちを考えてくれる、自分たちに目を向けてくれる、忘れないでいてくれる人たちが欲しいのだと、つくづく思います。どんどん応援してあげてください」
久子さまは’07年5月から毎回のように、「国境なき子どもたち」主催の写真展に足を運ばれている。そのたびに、写真を通して出会うストリートチルドレンや、難民の子どもたちのまなざしに深い感銘を受けていると、祝辞のなかで述べられた。
「国境なき子どもたち」は、国際的な医療・人道援助を目的とした非政府組織「国境なき医師団」の日本支部から派生し、独立した認定NPO法人だ。’97年の発足以来、この20年で15の国と地域で、延べ8万人以上の子どもたちに生活の場や教育の機会を与え、職業訓練を行うなどして、その自立を助けている。
特徴的なのは、支援の手が最も届きにくい15歳以上の青少年を主な対象としていること。人身売買の被害に遭ったり、自然災害、紛争などで親を亡くし、路上生活を余儀なくされた子どもたちに手を差し伸べている。
寺田さんは、’92年の「国境なき医師団日本」の開局当初からのボランティアスタッフで、’98年から7年間、「国境なき医師団日本」の会長を務め、’09年、「国境なき子どもたち」の会長に就任。
現在、「国境なき子どもたち」は日本、カンボジア、フィリピン、バングラデシュ、ヨルダン、パレスチナ、パキスタンの7カ国でその活動を続けている。
寺田さんの目が注がれるのは、何も海外の子どもたちばかりではない。東日本大震災後は、寺田さん自ら、自分の車を運転して東北各地を回り、被災した人々の支援を始めた。これは現在も継続中だ。
日本の子ども向けの講演もある。寺田さんが、支援する海外の子どもたちのことを話して聞かせるのだ。子どもたちへの話の最後は必ず、こう締めくくられる。
「みんなの頭の引出しに、私が今日、お話ししたことの種を1粒、しまっておいてちょうだいね。それが、いつか、真っ赤な花になるかもしれない。白い花が咲くかもしれない。そのときにいろいろ考えてくれたらいいからね」
寺田さんにとって世界中の子が“うちの子”。それぞれの人生に花を咲かせてほしいと願うだけだ。その思いは国境を軽々と超え、世界中の子どもたちへと広がっていく――。