「じつは私、パソコンを使ったことがありません。原稿はいまでも手書きなんですよ」と語るのは、皇室ジャーナリストの松崎敏弥さん(77)だ。
次々と流行が生まれ、皆がそれを追っていく。そんななか松崎さんは英語も話せないし、ネットやSNSも使えない。それでも皇室一筋で55年間取材を続け、そして誰よりも第一線で活躍している。そんな松崎さんが語る“ただ1つのことをやり続ける大切さ”。そこには今の時代に忘れがちな、いちばん必要なことが込められていた――。
松崎さんが最初に皇室に興味を持ったのは、小学5年生。昭和25年ごろのことだった。林間学校で軽井沢へ行く途中の電車の中から、昭和天皇の姿を初めて拝見したのだという。
「私たちが乗った電車は、天皇皇后両陛下が乗られた電車が通過するまで一時停車していましてね。そのとき引率していた女の先生が『私は“天皇陛下、万歳!”をやりません』と言っていたのですが、両陛下の電車が駅に近づいた瞬間、誰よりも先に『バンザ~イ!』と始めたんです。後で聞いてみたら、先生の婚約者が特攻隊員として戦死したそうで……。きっと天皇に対する複雑な思い、葛藤があったのでしょう。そのとき“天皇陛下というのは、我々にとってどういう存在なのか?”と、子どもながらに考えたのを覚えています」
この出来事をきっかけに、皇室に興味を持ち続けるようになったという松崎さん。そして縁あって’60年、『女性自身』編集部に入り、皇室取材を始めることとなった。当時はちょうど美智子さまが皇室に入られた時期。そのとき記者になったことが、松崎さんのその後の人生を決定づける大きな出来事となった。
「美智子さまは民間から嫁がれて、大変なご苦労があったと思います。そんな美智子さまがどんな皇室を作っていかれるのか。私は見守りながら、それを見届けて読者に伝える。その信念のもと、皇室取材一筋で今日まで至っているんです。でもまぁ55年もやっていると、時代の変化とともに皇室を巡る取材環境も大きく変わりました。昔は軽井沢などのご静養先やご公務で行かれた場所などでは、直接皇族の方々とお話ができたりもしました。侍従の人たちとも信頼関係が築けていたので、オリジナルの記事がいくつも作れました。ところが今は公式発表が記事になることがほとんどで、各社横並びの記事ばかり。近年はインターネットの普及によって、あらゆる情報がすぐ見られるようにもなってきました」
それでも、松崎さんはこれまでの取材スタイルを決して変えようとはしなかった。その理由とは、いったい何なのか。
「みなさんからすれば、私は時代遅れの記者だと思われるかもしれません。でも、私は一貫して現場主義の人間でありたいんです。毎日さまざまな現場で情報を集め、メモに書き止める。自分の目と耳で見聞きし、そしてその現場の匂いを感じる、これが取材のモットーだと信じています。55年間取材でかき集めた膨大な資料は、私の財産でもあるんですよ」
撮影/田山達之
今後は、その財産を後進のために整理しておくことも大事な務めだと考えているという。そして松崎さんが愛してやまない皇室という世界についても、こう続ける。
「皇室という世界は、一般人から見るとやはり不思議な存在です。私はその不思議な世界を、わかりやすく読者に伝えたいという思いが常にある。だからこそ、この分野を極めたい。皇室にこだわって取材を続けるのはそのためです。いろんな分野に手を広げて、あれもこれも取材をしていたら、どうしても目移りしてしまい本質を見失ってなってしまう。1つのジャンルを見極めるためには、1つのことをとことん追求する。それによってどんどん道が開けてくる。私はそう信じています。今の社会では、何でも手広く出来るほうがありがたがられるかもしれません。でも中途半端に仕事をするぐらいなら、“専門バカ”だと思われるほうがいい。私自身、まだ極めるまでには至っていませんけどね(笑)」
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