天皇皇后両陛下は、11月16日から18日の日程で、鹿児島県の屋久島、沖永良部島、与論島を訪問された。
天皇陛下の即位20年にあたる’09年に「できるだけ遠方の島を」とのご意向から沖永良部と与論の離島訪問が検討され始めたのだが、東日本大震災(’11年)、陛下の心臓パイパス手術(’12年)もあり、長い間、叶わなかったのだ。まさに“8年越しの悲願”ともいえるご訪問だった。
そして屋久島は、口永良部島民の避難先であった。両陛下の強いご希望で、島民と面会するために屋久島ご訪問も加えられた。
「結果として、3日で3つの離島、総移動距離が約3,300キロという“強行日程”になりました」(宮内庁関係者)
高齢で心臓手術を経験された陛下にとって、負担の大きすぎるスケジュールといえる。
「宮内庁は侍医長を中心に非常時の医療体制を確認し、地域の病院にも“準備”を要請していました。特に重篤の場合は、屋久島からは鹿児島へ、与論島からは沖縄本島に、飛行機やヘリコプターで緊急搬送する態勢を準備していたと聞いています」(同・宮内庁関係者)
訪問初日の11月16日。両陛下は午前9時40分に特別機で羽田空港を発たれ、2時間弱のフライトで鹿児島空港に。さらに小型機に乗り換えられて、屋久島までは35分。45年ぶりとなる屋久島ご滞在は、13時から15時の約2時間。まさに分刻みのスケジュールだった。
そして、両陛下が屋久島空港から姿を現されて、車へ向かわれているときだった。お迎えの島民が声を発した。
「アッ、危ない!」
お疲れでいらしたのか、陛下が通路の段差を踏み外されてよろめかれた。周囲の誰よりも早く美智子さまが両手を差しのべられ、抱きかかえるようにお支えに。まさに、全力で陛下をお守りされたのだ。
両陛下は島民たちを心配させないようにと考えられたのだろう。笑顔まで浮かべて、何事もなかったように屋久島町総合センターへと向かわれ、口永良部島民とご懇談された。予定時間を過ぎてもお話は尽きず、側近に4度促されてようやく、両陛下は席をお立ちになった。美智子さまは、島で牛を3頭飼っている山田ヨリ子さん(74)らに「お体をお大事に。ね、牛さんも」とユーモアたっぷりにお声がけされて、にこやかに会場を後にした。
だが、皇室ジャーナリストはこう語る。
「美智子さまは終始朗らかなご様子でしたが、実はご自身も万全のご体調ではなかったのです。陛下と同じく多忙な日々を過ごされ、11月9日の秋の園遊会では、ふだんよりご表情が晴れず、お疲れのご様子でした。そのような状態でありながら、今回のご訪問の前日、15日の夕方には都内の病院を訪れ、絵本を通じてご交流のある古くからのご友人をお見舞いされています。身近な方にも、遠方の国民にも、美智子さまはご多忙の時間を調整し、お心を寄せられていたのです」
天皇陛下とご一緒に国民と触れ合われ、陛下をお支えする責務を全うする。その覚悟を胸に、美智子さまは悲願の“離島の旅”に臨まれていたのだーー。