《点数を付けるのは難しいですが、今回は、結婚10年の折の「努力賞」と「感謝賞」のダブル受賞に加えて、銀婚式に因んで銀メダルも贈りたいと思います》(皇太子さま)
《天皇皇后両陛下のご成婚25周年の折に、陛下が皇后様に差し上げられた「感謝状」という言葉以上に私の気持ちに相応しい答えが見つかりませんので、このお答えに私も倣わせていただいて、皇太子殿下にも「感謝状」を差し上げてもよろしいでしょうか……》(雅子さま)
6月9日、皇太子さまと雅子さまは銀婚式を迎えられ、喜びのコメントを発表された。“点数を付けるとすれば何点を差し上げたいか?”という、皇室を取材する『宮内記者会』の質問に対し、ご夫妻はそれぞれ冒頭のようにお答えになった。
25年前、沿道が19万人もの人々で埋め尽くされた、’93年6月9日のご成婚記念祝賀パレード。雅子さまの輝くような笑顔を見て、その後の苦難を想像できた人は果たしてどれほどいただろうか。小和田家の知人は言う。
「雅子さまが何年間も耐えなければいけなかった“早くお世継ぎを!”という宮中内外の重圧は、想像を絶するものだったと思います。ようやく愛子さまがご誕生しても、“次こそ男子を!”という声がやむことはありませんでした。雅子さまの絶望感はいかばかりだったでしょうか……」
雅子さまが帯状疱疹を発症し、緊急入院されたのは、愛子さまご誕生から2年後のことだった。それ以来15年間、雅子さまは療養を続けていらっしゃる。しかし皇室ジャーナリストは、今回のお言葉に雅子さまの回復ぶりを感じたという。
「今回の銀婚式コメントでは、お元気だったころの雅子さまのユーモアが復活していて、大変嬉しく思いました。それだけご体調が回復し、お心にゆとりも出てきた証拠だと思います」
この皇室ジャーナリストが注目したのは、雅子さまの次のお言葉だという。
《今回、殿下からは、身に余る賞や「銀メダル」までいただけると仰って下さり、その寛大なお気持ちを大変ありがたく思いますとともに、金婚式に「金メダル」をいただけますかどうかは心許なく感じますが、これからも温かい家庭を築いていくことができますよう、私のできます限り努力していきたいと思っております》
わずか150字に満たないお言葉ではあるが、精神科医で立教大学教授の香山リカさんも、そのなかに“大いなる可能性”を感じたという。
「適応障害の患者さんは、将来について考えることが難しく、考えることができたとしても悲観的になりがちなのです。金婚式といえば、これからさらに25年後のことになります。そんな未来のことを、ポジティブに明るく表現することができていらっしゃるのは、雅子さまの著しい“回復のサイン”であると感じました」
皇太子さまのご即位まで、あと1年足らず。雅子さまの“次の25年”は、そのほとんどが“皇后陛下としての25年”ということになる。
「雅子さまは“金婚式では金メダルをいただけるように努力していきます”という意味のことをおっしゃっていますが、それは“金婚式を迎えるまでは、新しい天皇陛下を支えていきます”という宣言にほかなりません」(宮内庁関係者)
“次世代の25年は私が支える”――。銀婚式のお言葉には、雅子さまのそんなご決意も秘められていたのだ。