菅井きんさんが8月10日、心不全のために亡くなっていたと所属事務所が伝えた。92歳だった。
菅井さんは終戦直後、友人と見た芝居に感銘を受け東京芸術劇場の研究生へ。“菅井きん”という芸名は、初舞台の演出家が本名・須斎キミ子にちなんでつけてくれたものだという。
51年の映画デビューを機に女優人生の花が開いた菅井さんは、名バイプレイヤーとして大活躍。映画「ゴジラ」や黒澤明監督(享年88)の映画「どですかでん」、伊丹十三監督(享年64)の「お葬式」にも出演してきた。
さまざまな役柄でインパクトを残してきた菅井さんだが、特に73年のドラマ「必殺仕置人」での中村主水をいびる姑・中村せん役が印象深い。本誌07年1月2日号で“せん”について菅井さんは「初めて苗字がある役だった」として、こう語っていた。
「『中村せん』のイメージがあまりに強すぎて、なんとかしたいと思っているんですけど、いまだに言われますね。実像と思ってしまう視聴者の方もいるみたい。意地悪ババアの素質があるもので(笑)」
だがいっぽうでは、そうした意地悪役を演じているなかで悩みもあったという。
「どうやったら意地悪く、憎々しく聞こえるかと、いろいろ声を出して試してみてあれになったわけですけど、なんか妙に反応が大きすぎて。娘の結婚に差しさわりが出ないかと真面目に悩みました。だって『むこ殿』の来手がないでしょう、こんな意地悪なバアさんがいたら(笑)」
チャーミングなコメントからも家族愛のにじむ菅井さんだが、それには理由があるようだ。というのも仕事優先の菅井さんは、あまり一人娘に構うことができなかったというのだ。
「私は仕事優先であんまりちゃんとした母親じゃなかったから、主人がものすごく猫かわいがりして育てました。お風呂も、主人が入れてくれました」
さらに「娘は仕事に出かけるときも後追いはね、私に対しては全然しませんでした。父親にはしたんですけどね」と語った菅井さん。だからこそ、娘に特別な感情があったようだ。
「母親としての引け目がいまだにあるんです。らしいことをしなかったですからね。娘は本当に苦労したと思います、こんな親で。コンニャロウと思うときもあるんですけど。親子というものはどうしようもないですね……」
これからも菅井さんは天国から娘の姿を見守り続けているはずだ。