クイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』(11月9日公開)。本作はバンドの結成から、フレディのエイズ発症、伝説のライブ・エイド公演まで、壮大なスケールで描く、ファン感涙の大傑作だ。
’73年のデビュー時からクイーンを猛プッシュしていたのが、日本のロック誌『ミュージック・ライフ』(以下、『ML』)だった。当時、編集スタッフ(後に編集長)を務めていた東郷かおる子さんは、日本での“クイーンブーム”をけん引した立役者の1人だ。
「アメリカのレコード会社から“QUEEN”とスタンプが押されただけのテスト盤が『ML』編集部に届いて、聴いてみたらめちゃくちゃカッコよかったんです。その後、プロモーションフィルムを見てみると、フレディ(マーキュリー)が黒いスパンコールに白鷺ルックで、これは雑誌的にも絵になると。悪趣味一歩手前なところがおもしろいと思いましたね」(東郷さん・以下同)
翌年、クイーンは英ロックバンド「モット・ザ・フープル」のアメリカツアーの前座を務めることになり、東郷さんはそのライブを、いちばん前の席に陣取り、かぶりつきで見たという。
「ライブの翌日、ニューヨークのレストランで食事をしていたら、4~5人のスタッフとともに、白いスーツを着たロジャー・テイラーが現れたんです。私、そういうのは目ざといんですね。で、声をかけてみたらロジャーは、『なに? この東洋人』って素っ気ない感じで。そこで、伝家の宝刀『ML』を見せたら目の色が変わって、『信じられない! 日本の雑誌に俺たちが出てる!』って大騒ぎ。で、『時間あるなら取材させてくれない?』『OK! ホテルに来てくれ』『わかった、行く! 行く!』って、ただのファンですよ(笑)。当時、私は20代前半で、怖いもの知らずだったから直談判できたんですね。翌日、ロジャーとジョン(ディーコン)をインタビューしました。体調が悪かったブライアン(メイ)は挨拶だけ。フレディは買い物に出かけていたようで、会えませんでした」
メンバーの身軽な行動からも、このころ、まだクイーンが名もないバンドであったことを物語っている。この奇跡的な出会いにより、東郷さんとクイーンは、蜜月の関係を築いていく。
’75年4月、クイーンは待望の初来日を果たす。羽田空港には3,000人のファンが詰めかけ、その姿をマスコミも大々的に報じた。コンサートは、東京、大阪、名古屋など、7都市8公演。チケットはすべて完売し、武道館の追加公演も行われた。『ML』は地方公演にも密着し、独走スクープを連発。クイーン初来日特集を組むと、月刊誌ながら増刷し、写真集も発売した。東郷さんは、同年7月、イギリスのリハーサル現場に潜入し、テニスやビリヤードに興じるメンバーを取材した。
「このとき、まだアルバムのタイトルは決まってなかったけど、『オペラ座の夜』のセッションリハーサルだったようです。自分たちのために日本のマスコミが海を渡って取材に来ている、ということが相当、うれしかったようで、とくにフレディは取材の陣頭指揮を執ってくれました。『一列に並んで!』『テニスコートに行ってみる?』とか。半日そこにいましたね。彼らはみんな大学を出ているし、インテリで育ちもよくて、ミュージシャンにありがちな下品な感じがまったくなかった。フレディはチャーミングで、子どもみたいに純粋で、ブライアンはすごく繊細。ロジャーは明るい典型的なロックンローラー。ジョンは無口でマイペースな人でしたね」