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《希鏡啓心大姉(ききょうけいしんだいし)》、樹木希林さん(享年75)の戒名は芸名と本名・内田啓子から1文字ずつ取ったものだ。また生前よく話していた「役者は人の心を映す鏡」という言葉も盛り込まれているという。

 

東京都港区にある寺院・光林寺に、日本中から愛された名女優は眠っている。秋も深まり、境内には枯葉が舞っていたが、頻繁に掃除されているためか、戒名が刻まれた墓石の周辺に葉は落ちていなかった。

 

希林さんの四十九日忌法要が行われたのは10月末のことだったという。希林さんの仕事関係者は言う。

 

「9月30日に光林寺で営まれた本葬儀には芸能関係者が約500人、一般参列者1千人が集まるという盛大なものでした。しかし四十九日忌法要は本木雅弘さん(52)・也哉子さん(42)夫妻と3人のお子さんたちなど、ご家族だけで執り行いました」

 

本葬の後にお骨は一度遺族たちにより持ち帰られており、四十九日忌法要後に納骨された。前出の仕事関係者が続ける。

 

「夫の内田裕也さん(79)は車椅子を使っていますし、お墓まで連れて行くのは大変だったので、少し離れた場所から納骨を見守りました。参列者を最小限に絞ったのは、“自分たちだけで静かに希林さんを偲びたい”というご家族の強い意向だそうです。希林さんを喪った心の痛手の大きさ、深さが伺えますね……」

 

実はこの日の法要には、本木の両親といった、ごく近い親族たちも呼ばれていないのだ。残された一家の“希林さんロス”について、埼玉県内で農業を営んでいる本木の母・Sさんが語ってくれた。

 

「希林さんの四十九日忌法要を行うことは連絡がありました。でも雅弘からは『今回は来なくていいよ。こじんまりとになるけど、家族だけでやりたいからね』という気持ちも聞きましたので、私たちも遠慮したんです」

 

だが両家はかなり親密で、希林さんの長女・内田也哉子も頻繁に本木家に電話をかけてくるという。

 

「私たちも也哉子さんを実の娘のように思っているんです。希林さんが亡くなった後も、いろいろこまめに報告してくれています。やっぱり寂しいのでしょうね。私たちでさえ、これほど感じるのですから、也哉子さんはとてもつらいと思います。話すことで、少しでも寂しさがまぎれると良いのですが……」

 

“希林さんロス”から妻や子供たちを守りたい、そう考えた本木はある提案をしたという。

 

「10月下旬のことでした。雅弘が也哉子さんや子供たちを連れて、うちにやって来たんです。みんなでいっしょに食事をしましたが、(雅弘は)3人兄弟で、それぞれの子供たちも多いですからね。けっこうにぎやかな集まりになりました。也哉子さんは一人っ子だったから、逆にガチャガチャと食卓に人がいっぱいいて、うるさいぐらいなのが珍しいみたいで、喜んでくれるんです。私の手料理も、おいしいと言ってくれますしね。笑顔を見せてくれたので、嬉しかったですよ」

 

話題の中心は、その場にはいない希林さん。

 

「みんながそれぞれ希林さんの思い出話をしました。だから、まるで希林さんもいっしょに食卓を囲んでいるような感じでした。1人で思い出していると悲しいけれど、みんなで話せば悲しさも和らぐというか……、そんなことも考えました」

 

悲しみの涙をいっとき、思い出を語りあっての嬉しい涙に変えたという食事会。家族たちの笑顔を見て、きっと天国の希林さんも少し安心したことだろう。

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