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「本当にヒモですか?」。TBSの朝の顔の衝撃の告白に記者も思わず聞き直した。下積み時代も、自宅出産さえも、共に乗り越えてきた妻との23年ーー。

 

朝5時ごろ、目を覚ました恵俊彰(54)はテレビをつけると、チャンネルをニュース番組にあわせ、一般紙2紙とスポーツ紙1紙に目を通す。気になるニュースがあったら、いつの間にか起きていた妻(52)に声をかける。

 

「ねぇ、この事件ってどう思う」

 

4人の子どもの通学の準備に忙しい妻は、しばし手を止めて、夫の質問に答えてくれる。8時過ぎにはTBSに入り、10時25分から始まる『ひるおび!』の放送に備える。もう、こんな生活を10年続けてきた。

 

「これほど長く情報番組のMCを任せてもらえたのも、妻のおかげでしょうね」

 

「ひるおび!」放送後の打ち合わせを終えて、本誌のインタビューに応じた恵は、相好を崩してそう断言する。

 

芸人として“食えない下積み時代”から、物心両面で支えてくれた糟糠の妻には感謝しかない。

 

「下北沢の『鈴木荘』ってとこに住んでいたんですよ。家賃が3万円ぐらいなんですが、それを払うのも苦労していました。だから、結婚前の妻が会いにきてくれたときも、お金をもらっていて……。帰るタイミングを見計らって、『ねぇ、2,000円ぐらい、置いていかない?』って(笑)」

 

’96年、恵が31歳、妻が29歳のとき。その後の人生や出産を考えて結婚を決意したものの、芸能界で生きていく確固たる自信が持てず、『結婚はするけど……。ごめん。幸せにできるかわからない』と弱気になっていた。

 

「『ひょうきん予備校』(フジテレビ系)や『東京フレンドパーク』(TBS系)にも出演していましたが、ギャラは微々たるもの……。関口さんの100分の1くらいだったんじゃないでしょうか(笑)」

 

それでも、妻は恵を信じて、どっしりと構えていた。3人の子どもに恵まれ、徐々に芸能界での足場も固まっていった。

 

「家事もしない、稼ぎもないヒモのような存在でしたが、少し稼げるようになって“ナワ”ぐらいにはなったわけですよ」

 

それでも、芸能界で生き抜く自信が持てなかったが、妻の言葉が恵を変えていった。

 

「マイホームを買ったんですが、ローンの返し方でもめて。妻は繰上げ返済したほうが、少ない金利で早く返済できるという考えだけど、僕は、手元のお金がなくなるのが嫌だったんです。要するに、僕はいつも“自分がダメになるかもしれない”と思い込んでいる。そんなとき、妻は『大丈夫だよ。なんとかなるよ。弱気にならないほうがいいんじゃない』と勇気付けてくれます」

 

支えとなってきた家族の絆は、より強くなっている。

 

「7年前、奥さんが4人目を妊娠したんです。45歳で高リスクだったのに、予定日よりも1カ月も早く、しかも自宅で生まれてしまったんです。僕は番組終了後の打ち合わせ中でした。救急車を呼んでくれた当時8歳の次男と5歳の長女からは、今でも『父ちゃんいなかったから本当に大変だったよ』と言われますが、なんとか家族の協力で乗り越えられました」

 

3男1女のにぎやかな家族が、恵の原動力となっている。

 

「生放送後の打ち合わせが終わって、午後3時くらいには局を出ます。ほかの番組の収録がないときは、子どものサッカーや空手とかの習い事を見学に行って、一緒に家に帰るのが日課なんです」

 

すっかりMCからパパの顔に戻った恵が、明日の活力を養うため家路についたーー。

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