戦争遺跡として文化財指定が検討されている「旧億首橋」=金武町金武(町教育委員会提供) 画像を見る

 

沖縄戦で住民らが避難した壕や日本軍が構築した陣地壕などの戦争遺跡について、県内41市町村が把握している1313カ所のうち市町村などが文化財指定しているのは、14市町村26カ所で1.9%にとどまることが29日、本紙の調べで分かった。10市町村は現在、計12カ所の文化財指定を検討している。戦後75年が経過し、壕などは崩落や消失が進む。戦争体験者の高齢化で証言の裏付けも得られにくくなっており、戦争遺跡の調査や文化財指定は難しくなっている。

 

本紙は29日までに県内41市町村に戦争遺跡の数や文化財指定状況についてアンケートを実施した。文化財指定が進んでこなかった要因としては、遺跡の風化や資料収集の難しさのほか、私有地や米軍基地内に存在するなど所有権の問題、文化財行政の人員不足などの課題も浮き彫りとなった。

 

文化財指定の検討については、金武町金武の「旧億首橋」と「旧金武村の忠魂碑」は本年度中に町文化財に指定する方向で調整している。ほかにも北谷町砂辺の「クマヤー洞穴遺跡」や今帰仁村上運天の「特殊潜行魚雷基地跡」などで検討が進んでいる。読谷村は文化財指定を検討している戦争遺跡について「まだ具体化していない」として「非公表」としている。竹富町は「今後5年ほどかけて調査し、候補地をとりまとめる予定」とした。

 

また、4市町村が計4カ所の文化財指定について「難航している」と回答した。那覇市真地の「県庁・警察部壕」について市は「地権者が多数いることや、地籍確定が難しい」などとした。中城村津覇の「津覇のトーチカ」について村は「日本軍が造ったと思われるが、その根拠となる確実な証言・文献がない」としている。

 

文化庁は1995年に文化財保護基準を改定、太平洋戦争時期の戦跡も文化財として指定が可能となった。その改定以前の90年に、南風原町は「南風原陸軍病院壕」を町の文化財として先駆けて県内で初めて文化財指定した。

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