住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にウキウキしながら見たバラエティ番組の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょう--。
「’80年代は『楽しくなければテレビじゃない』のキャッチフレーズを掲げたフジテレビが、もっとも勢いを増した時代。その隆盛を象徴する番組の一つが『笑っていいとも!』(’82~’14年・フジテレビ系)です。とくに“月9ドラマ”が人気となった’87年以降は、お昼から“8チャンネル”をつけっぱなしにしていた家庭も多かったでしょう」
そう話すのは世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。
漫才ブームのけん引役だったB&Bやツービート、紳助・竜介などが出演した『笑ってる場合ですよ!』(’80~’82年・フジテレビ系)の後継番組として『笑っていいとも!』はスタートした。
「通常、お昼の情報番組といえば、明るくさわやかな人が起用されるものですが、当時のタモリさんのイメージは“23時以降の深夜番組”だったので、驚きでした」
人気コーナーは、ゲストの著名人が、翌日のゲストに直接電話をかけ、出演依頼をする「テレフォンショッキング」。
「“友達の輪”という言葉も大流行しました。次に誰が登場するのか、仲のいい芸能人は誰なのか、映画の宣伝のために共演者を呼ぶんじゃないか……など、あれこれ予想するのも楽しかったです」
かけるときに相手の電話番号を口走ってしまうという、生放送ならではのハプニングもあった。
「今なら、電話番号がネットで拡散してしまう事態になってしまっていたでしょう。電話がつながらなかったり、出演当日、渋滞で遅刻してしまうゲストもいて、そうした“放送事故”も見どころの一つになっていました」
番組から生まれたアイドルグループ「いいとも青年隊」も人気を博し、駅や電車の車内に張られたポスターが盗まれる事件も多発。
「父がフジテレビの局員だったため、よく友人から“番組を観覧したい”“なんとかポスターを手に入れて”とお願いされました」
観客を入れて生放送をしていた「スタジオアルタ」は、新宿の新しいランドマークともなった。
「新宿駅ではなく、わざわざ道を一本挟んだアルタ前で待ち合わせしたものです。夜7時くらいになると、人であふれかえりました」
番組の後半の曜日ごとのコーナーは、当時人気絶頂のお笑い芸人やアイドル、タレントらが担当。
「’14年3月のグランドフィナーレで、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンなどが“夢の共演”をしたのも、タモリさんの人柄、そして番組自体が皆さんから愛されたからでしょう」