13年、音楽誌「ミュージック・マガジン」の表紙に登場したBOOWY 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に旋風を起こしたバンドの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。

 

■ビジュアル面でも女性ファンの心を

 

「’80年代後半、私の成人式の二次会会場は、カラオケパブでした。そこで同級生のほとんどの男子たちが、氷室京介さんになりきってBOOWYの曲を歌っていました。かっこいいバンドの代表格だったんですね」

 

こう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。

 

BOOWYは群馬県出身の氷室京介と布袋寅泰、そして松井恒松(当時)らが中心となって’81年、前身となる「暴威」を結成。

 

のちに武道館を満員にする彼らのファーストライブの観客はわずか13人だったともいわれている。

 

その後、「BOOWY」への改名や、ファーストライブの観客の1人だった高橋まことの加入を経て、’82年にアルバム『MORAL』でメジャーデビューを果たした。

 

「8ビートの曲調で、ハードロックというよりポップ。氷室京介さんのハスキーな歌声も魅力的ですが、黒を基調にしたファッションなど、ビジュアル面でも女性ファンの心をつかみました。一方、バンドのスタイルにおいて、布袋さんの存在も大きかった。それまでのバンドはほとんどヴォーカルが主人公でしたが、前面に出てくる布袋さんのソロギターは圧倒的な存在感がありました。エレキギターが欲しくて、ためたお小遣いを握りしめ、“楽器の街”とされる御茶ノ水のショップに行った男子も多く、’80年代末の『イカ天』に代表されるバンドブームの基礎を作ったともいえます」

 

『わがままジュリエット』『B・BLUE』(ともに’86年)、『ONLY YOU』『Marionette‐マリオネット‐』(ともに’87年)などヒット曲を連発するも、テレビ番組での露出は少なかった。

 

「演奏が聴けるのはおもにライブかCDでのみ、情報も音楽雑誌からと限られていました」

 

浅く広くファンを増やすより、熱心なファンを大切にしていたのだろう。人気絶頂で解散を発表したのも、’87年12月、ツアー最終日となるライブ会場だった。

 

その直後には、NHKが速報を流し、さらに翌日には大手新聞に「BOOWY解散。」と大きな広告記事を掲載。社会にインパクトを与えた。

 

’88年4月の最後のライブ『LAST GIGS』のチケット約10万枚は、わずか10分ほどでソールドアウトしたといわれている。

 

「日本を代表するロックバンドに成長しながら、潔く解散させてしまうところに美学を感じました。現在に至るまで再結成しないのもBOOWYらしいですね」

マーケティングライター、世代・トレンド評論家

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