《本当のところは敬宮様の初会見から少しでも注目をそらすためにわざと同じ日にぶつけたのでしょう》
《秋篠宮家のお子さんのイレギュラーな高校進学が批判を浴びているからそれが目立たないように愛子さまの会見をかぶせたのかな?》
インターネット上でもさまざまな臆測が噴出した“日程かぶり”問題。愛子さまの初会見と悠仁さまの中学校の卒業式が3月17日に重なってしまったのだ。
1週間後の3月24日の定例記者会見で、宮内庁の西村泰彦長官は次のように説明した。
「3月に愛子さまの会見を調整しているのを聞いた段階で、悠仁さまの卒業式に思いを致すべきだったにもかかわらず、それが頭に思い浮かばす、調整できなかった。できれば別の日がよかった……」
長官は「私のミス」と釈明したが、《単なるミスなんて、とても信じられない》という意見も多く、人々の疑問を解消するにはいたらなかった。
宮内庁関係者も、この“スケジュール調整大失敗”には、深刻な問題が隠されていると指摘する。
「天皇家にお仕えする侍従職と、秋篠宮家にお仕えする皇嗣職との間で連絡がきちんととれていなかったことが露呈したのです。
まず悠仁さまの卒業式は、お茶の水女子大学附属中学校の年間スケジュールとして1年前から決まっていたことでした。
愛子さまの会見は、学習院大学での学業に支障が出ないように、3月に開催する方針が昨年11月には発表されていましたが、その段階で皇嗣職が『悠仁さまの卒業式は3月17日です』と、連絡をしていれば、こんな事態にはならなかったのです。
侍従職も、愛子さまの会見スケジュールを固めた時点で皇嗣職へ連絡していれば、日程がかぶっていることが判明したでしょう。
それをしないまま発表したために、会見の日取りを変更することができなくなってしまったのです。平成の御代であればありえなかったことであり、単純に“宮内庁職員の劣化”として片づけられることではないと思います」