住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、追いかけていたおしゃれの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「’90年代のはじめに紺ブレを購入して以来、クローゼットには絶やすことなく常備しています。時代によって形は少しずつ変わってくるものの、トラッド系のファッションは一貫して好きです。近年はオーバーサイズがはやっていましたが、今、お気に入りの紺ブレは少しタイトなもの。今年の秋冬はハイネックと合わせてみようかと思っています」
こう語るのは、女優の細川直美さん(48)。中学生のころからおしゃれに興味を持ち始めたと振り返る。
「小学校時代は『りぼん』(集英社)や『なかよし』(講談社)など、少女漫画ばかり読んでいましたが、中学生になったころから『Seventeen』(集英社)にシフト。年上向けの雑誌を読むことで、ちょっと背伸びしたい気持ちもありました。同じころ、書店の雑誌コーナーで偶然に手に取った『Olive』(平凡出版、現マガジンハウス)を愛読するように。フランスの女のコのようなイメージなのですが、日本的なアレンジもされていて、ナチュラルなのにかわいい。そんな服や着こなしを楽しみに読んでいました」
当時はハリウッド映画全盛期だったが、好きなファッションの影響もあってフランス映画に興味を持っていたという。
「奥が深くて大人な雰囲気の映画『ベティ・ブルー』(’87年)を見たりしていました」
オスカープロモーションが主催する「第2回全日本国民的美少女コンテスト」(’88年)に出場したのは中2のとき。
「応募したのも学校の友達4~5人と一緒に。中3からは受験勉強をするつもりだったので、思い出作りくらいの気持ちでした」
細川さんは書類、1次審査と順調に通過し、東京の表参道にあったオスカープロモーションのオフィスに足を運ぶこともあった。
「私よりも一緒に応募した友達のほうが盛り上がっていました。私が表参道の事務所に行くときは、地元の横浜から一緒についてきてくれて、私が審査や打ち合わせをしている間は原宿へ。私も後から友達が待っている原宿に合流しました。私自身も、楽しみなのはコンテストのことよりも、原宿の竹下通りで買い物すること。なんでも横浜でそろえることはできますが、中学生の私にとっては原宿や渋谷のほうが楽しかった」
切実な思いでコンテストに臨んでいたわけではないので、自分自身がグランプリに選ばれるとは思ってもいなかった。
「最終審査のための宿泊先がプール付きのホテルだったことに、すごくはしゃいでいたくらい緊張感がありませんでした。でも、前日のリハーサルに出るとまわりの出場者はすごく真剣で、ようやく“これはマズい”と。時間がないから、やれることは限られていましたが、浮ついた気持ちが引き締まりました。だから、グランプリに選ばれたときは、喜びよりも不安が先に立って、付き添ってくれた母と一緒にオロオロするばかり……」