「ひとりのアイドル、役者として、自分の目指すべき場所に向かって、自分の力を全力で試してみたい」
1月9日、ラジオ番組『Sexy ZoneのQrzone』(文化放送)でこう語ったのは中島健人(29)。3月いっぱいでグループを卒業する胸中を明かした。
’11年にSexy Zoneとしてデビューして以来「セクシーサンキュー!」の決めゼリフでも人気を集めたが、メンバーとは袂を分かつこととなった。
「活動の幅を海外にも広げていきたいといい、昨年夏ごろにはグループ脱退の意向を周囲に伝え始めたそうです。すでに初の海外ドラマ出演も決まっています」(芸能関係者)
中島が新たな道を歩む決断をした背景には、師と仰ぐ岡田准一(43)からの“檄”があったーー。
「岡田さんは“岡田部活”と称して後輩向けに英会話や演技のレッスンを行ってきましたが、中島さんも岡田部活に積極的に参加していました。
レッスンで岡田さんが中島さんの演技を見た際、岡田さんは『お前は何をやっても“中島健人”だ』と指摘したそう。以来、“もっと芝居がうまくなりたい”と中島さんの闘志に火が付いたそうです」(前出・芸能関係者)
仕事への熱意も変化した。
「岡田さんは、仕事のオファーを待つのではなく、『自ら率先して仕事を作る』という考えを持っています。岡田さん自ら企画書を作ったこともあり、それが実現したのが人気シリーズ『SP』でした。
中島さんもその影響を受けていて、中島さん自身が作った企画書が映画会社に郵送されてきたと聞いて非常に驚いたことがあります」(制作関係者)
ラジオ番組では「私もちょうど3月で30歳になるというタイミング」とも語っていた中島。
“30歳”という節目を強く意識するようになったのも、岡田からの至言を受けてのことだったとインタビューで明かしている。
《『30代の生き方を考えた方がいい。俺は23歳の時にそれを考えていた』という岡田さんのアドバイスはすごく効いています。(当時)僕は25歳でしたが、『やるしかない』と思いました》(「クランクイン!」’22年12月11日配信)
岡田は34歳のとき、映画『永遠の0』で日本アカデミー賞を受賞している。
「この受賞以降、岡田さんは役者としての地位を確固たるものにし、数々の賞を獲得しました。それだけに、“30歳”というのは中島さんにとっても説得力のあるものだったのでしょう」
英語が堪能な中島は、’20年にアメリカ・ロサンゼルスで行われたアカデミー賞授賞式で、初めてハリウッドスターへのインタビューに挑戦した。その際の心境を次のように語っている。
《本当は、自分が取材される側に回ってレッドカーペットの上を歩きたかった、と思ったんです》(『GQ JAPAN』’20年11月号)
前出の制作関係者は言う。
「当時25歳の中島さんは、同年代のハリウッドスターを目の当たりにして強い刺激を受けたそう。
“自ら仕事を作る”という岡田さんの教えに倣い、今後は海外の作品のオーディションに挑戦することもあるかもしれません」
最年長としてグループをけん引してきた中島。今後は世界を股にかけ、時代を創る!