《何のその 百年後は 塵芥(チリアクタ) 檀一雄》
東京都内に、こんな句が刻まれた御影石の文学碑が建てられたのは今年春のことだったという。檀一雄は“最後の無頼派作家”とも呼ばれ、長編小説『火宅の人』は1986年に映画化されている。
「女優でエッセイストの檀ふみさん(70)やエッセイストの檀太郎さん(80)のお父さんとしても知られています。料理にも造詣が深く、エッセイ『檀流クッキング』はロングセラーになっています。
それにしても檀一雄さんが逝去したのが1976年。すでに故郷の福岡県柳川市や、ゆかりの地の福岡市能古島にも文学碑があります。没後48年たっての文学碑建立は非常に珍しいケースだと思います」(出版関係者)
このタイミングでの建立の理由について区の土木課に取材するとーー。
「文学碑の建立については、檀さんのご家族とご相談して、ようやく実現したものです。道路用地を取得した後、昨年に道路工事が終了し、文学碑は今年3月に完成しました」(土木課の担当者)
この区では、2006年に道路建設計画が議会で認可され、檀ふみの生家の一部もその建設予定地に入っていたという背景がある。
「当初、檀ふみさんは高齢のお母さまのために、実家をそのまま残したいと、道路建設には反対していました。その後、区画整理に応じ、実家の建て替えを行ったのです」(前出・出版関係者)
檀ふみの事務所に、文学碑建立の経緯について取材を申し込むと、コメントの代わりにと、彼女が書き上げたばかりのエッセイが送られてきた。
《(区画整理に応じるにあたっては)「無条件で」というわけではなかったらしい。きょうだいでいちばん父親思いの兄のことである。(中略)跡地に「檀一雄の文学碑を立てる」という約束を、行政に取り付けていた。(中略)しかし結局、碑はできた。こっそり見に行くと、親不孝な娘は知らなかった、父の句が刻まれていた》(『月刊北國アクタス』6月号)
エッセイでは“親不孝”を連発していた檀ふみだが、その文章からは亡き父への敬慕の念が伝わってきた。