11月26日、百合子さまの斂葬の儀に参列された瑶子さまの髪色はやや暗いトーンに 画像を見る

喪主を務められた彬子さま、高円宮妃久子さまに続き、瑶子さまがゆっくりと進まれていた。

 

11月26日、東京・豊島岡墓地で、101歳で薨去された三笠宮妃百合子さまの「斂葬の儀 葬場の儀」がしめやかに執り行われた。

 

「慣例で儀式には参列されない天皇皇后両陛下と上皇ご夫妻を除いて、10名の皇族方が参列され、百合子さまを偲ばれました。彬子さまは喪主として気丈に振る舞われていましたが、時に涙をハンカチで拭われる場面もありました。

 

ただ、彬子さまの母・寬仁親王妃信子さまのお姿はこの日もありませんでした。あらためて、三笠宮家内の複雑な人間関係が浮き彫りになったように感じています」(皇室担当記者)

 

本誌11月26日発売号では、百合子さまが薨去された後、信子さまが三笠宮邸に弔問に訪れたものの、玄関で宮務官らに労いを伝えられただけで、“玄関払い”されていたことを報じている。三笠宮家の事情に詳しい宮内庁関係者はこう明かす。

 

「晩年の寬仁さまとご夫婦仲が極度に悪化した信子さまが2004年に“家出”されて以降、20年近く信子さまと彬子さま・瑶子さまの対立関係が生じています。しかし寬仁さまの薨去後、母娘間だけではなく、ご姉妹の間のコミュニケーションも少なくなっていったと感じています。

 

彬子さまがご研究や日本の伝統文化などの普及活動に注力されるようになってから、京都に滞在されることが増えていました。一方、宮家内の差配は瑶子さまが担われるようになり、ご公務もある程度は制限せざるをえず、とくに昨今はメディアでさかんに発信されている彬子さまに対して、複雑な感情を抱かれるようになったというのです」

 

そんな瑶子さまが活躍の場を追い求めるかのように熱心に携わられてきたのが、自動車産業やモータースポーツの振興活動だった。寬仁さまは東京モーターショーの名誉総裁をたびたび務められていたが、2013年からは瑶子さまが引き継がれている。

 

今年7月には「第1回瑶子女王杯 全日本スーパーフォーミュラ選手権 第4戦富士大会」という、賜杯を授けられるレースも開催された。さらに8月には、瑶子さまはアメリカ・カリフォルニア州に私的に旅行され、自動車イベント「モントレー・カー・ウィーク」や、日本の芸術文化を紹介する行事「Back Wall Project」を視察されているのだが……。

 

次ページ >モータースポーツに熱烈なご支援も……

関連カテゴリー: