「昨年7月に末期がんが分かり、その時点で余命3カ月だと言われていました。楳図さんは、いままで“自分が亡くなったらどうする?”というような話は一切しない人だったんです。ただ、余命が長くないと分かり、覚悟を決め、『すぐに、財団を作りましょう』という話になったのです」
こう語るのは、生前、漫画家・芸術家の楳図かずおさん(享年88)のマネージャーを務めていた上野勇介氏。同氏は長年、楳図さんの仕事上のパートナーを務め、現在では楳図さんの作品の著作権を管理する『一般財団法人 UMEZZ』の代表理事を務めている。
‘55年にプロデビューした楳図さんは、『へび少女』や『おろち』などでホラー漫画の第一人者としての地位を確立したあと、’72年に代表作『漂流教室』の連載をスタートさせたほか、‘76年にギャグテイストに溢れた名作『まことちゃん』を発表し、同作での「グワシ」ポーズは子供たちの間で大流行。長年、名実ともに日本を代表する漫画家として活躍していた。
楳図さんは、昨年7月に自宅で倒れて救急搬送。検査で末期の胃がんであることが発覚した。同年8月には病床で自身の財団を設立し、今後の展開やさらなる新作を構想していたなか、10月28日に永眠した。
財団設立の経緯について、上野氏はこう語る。
「楳図さんは、財団を作ることで作品の著作権を守るだけでなく、それらを活用して発展させていくことを考えていました。病床の中、財団の設立目的など、すべてを自分で決めていったのです。
財団の設立にあたって楳図さんには大きな目的が2つありました。1つ目は、自分の作品がいままで以上に世界中で読まれ受け継がれてほしいということ、2つ目は、作品や自身の芸術的評価をゆるぎないものにしてほしいということでした」
楳図さんといえば、生前、東京都武蔵野市の吉祥寺を拠点に活動していたことで知られる。近年では自身の作品『こわい本』とコラボした吉祥寺をめぐる謎解きイベントが開催されるなど、同地は“楳図かずおが愛した街”として有名。今年の5月にも吉祥寺で『楳図かずお サバラ! お別れの会』と題した追悼イベントが開催されている。
また‘07年、この地で楳図さんは、外壁がトレードマークである紅白カラーで装飾された“UMEZZ HOUSE(通称:まことちゃんハウス)”を建設している。同建物は、建設当時に近隣住民から『景観を損ねる』として建設差し止めの請求がなされたことが話題に。最終的に要求は棄却されており、いまでもこの住居は吉祥寺に残っている。
