「当時、息子は生後5カ月で、私は育児休暇中でした。テレビを見ていたら、『沖縄県民45万人が飲んでいる水道水に、“PFAS”という人体に有害な物質が含まれていた』というニュースが流れたんです。その瞬間、不安と怒りで目の前が真っ白になりました。毎日、水道水でミルクを作って子どもに飲ませていたからです」
2016年当時をそう振り返るのは、沖縄在住の映画監督、平良いずみさん(48)。平良さんは今年、PFAS汚染に立ち向かう沖縄や海外の女性たちを追ったドキュメンタリー映画『ウナイ~透明な闇PFAS汚染に立ち向かう』を劇場公開し、話題を呼んだ。
「ウナイ」は、沖縄の言葉で“女性たち”や“姉妹”を意味する。PFAS汚染に正面から向き合うのは、命の問題に敏感な女性が圧倒的に多いためだ。
PFASとは、発がん性が指摘される有機フッ素化合物のこと。防水加工のフライパンやカーペットなど、さまざまな日用品に使用されていたため、PFASを扱う工場や産廃施設の周辺など、日本各地で汚染が明るみに出ている。
■街頭に立つ母たちの姿に心を動かされた
「全国に先駆けて2016年にPFAS汚染が明らかになった沖縄県の汚染源は、米軍基地の可能性が高いとみられています。PFASは泡消火剤にも含まれていて、沖縄では度々、米軍基地からの泡消火剤漏れが問題となってきました」(以下、平良さん)
しかし沖縄では、日本に不利な“日米地位協定”という壁があり、米軍が立ち入りを拒否しているため、基地内に入って汚染源を特定することすらできないままだ。
「これを受けて、沖縄の女性たちが、『水の安全を求めるママたちの会』を立ち上げたんです」
2020年、この会を取材した平良さんは「頭をガツンと殴られた思い」だったという。
「ごく普通のお母さんたちが、『水道水のPFAS汚染を人々に知らせたい』という思いから街頭に立ち、涙ながらに訴えていたからです」
平良さんは本格的に取材を開始。以来、今年で5年になる。この間、女性たちの中からは、町議会議員も誕生したが、事態は好転していない。
「ママたちの会の女性たちは、何度も『住民の健康調査をしてほしい』と、行政に働きかけてきましたが、『日本では健康被害は確認されていない』と繰り返すばかり。調べないから確認されていないだけなんです」
実際、映画の中では、PFAS汚染の影響とみられる健康被害が紹介されている。登場するのは、水道水から高濃度のPFASが検出された岡山県・吉備中央町に2011年から夫婦で移住したという女性だ。
「彼女は吉備中央町に移住してから、何度も流産を経験していました。『おかしい』と思っていたところに、水道水がPFASで汚染されていたというニュースが飛び込んできた。血液検査を受けたところ、米国の指針値の約7倍ものPFASが検出されたそうです」
原因は、取水地の近くに長年放置されていた使用済みの活性炭だとみられている。
「彼女が住んでいる集落を取材していると、ほかにも、『流産した』『がんが増えた』などという声を多く聞きました。世界では、“予防原則”に基づいてPFAS規制が進んでいます。昨年、アメリカでは、それまでの70ナノグラム/リットルから4ナノグラム/リットルへと規制を強化しましたが、日本は50ナノグラム/リットルのまま据え置かれています」
平良さんは海外の実態も調査に行っている。
「まず、アメリカのミネソタ州を訪ねました。ここには、化学メーカー3Mの工場があり、近隣の水源を汚染したとして問題になっていたからです」
周辺地域では、若い世代にもがんが増加。PFASとの関連が疑われたが、「因果関係を証明するには、半世紀かかる」と言われていた。そんな中、立ち上がったのが、映画にも登場するアマラ・ストランディさん。
「アマラさんは、15歳でPFAS汚染が原因とみられる肝細胞がんを発症。20回を超える手術を受けながらも、『自分のような被害者が生まれてほしくない』という一心で、議会で証言を続けました。命がけの訴えが多くの人の心を動かし、2023年4月、PFASの使用を禁止する州法が可決したんです」
彼女にちなんで“アマラ法”と呼ばれているが、彼女は、州法が可決する2週間前に、20歳の若さで亡くなっている。
「たった1人の訴えでも、世論を動かすことはできる」
希望を見いだした平良さんは、次にイタリアのヴェネト州へ飛んだ。工場の跡地から流出したPFASが水源を汚染。35万人が飲む水道水から高濃度のPFASが検出されていたからだ。
「ここでも立ち上がったのは女性たちです。母親たちが『ママ・ノー・PFAS』という団体を結成し、心ある科学者たちの協力を得て企業を提訴。今年6月、見事に勝訴を勝ち取りました」
企業の責任者に最長16年の禁錮刑を言い渡すとともに、環境浄化費用や巨額の賠償金の支払いも全面的に認めた画期的な判決だった。一方、日本に目を転じると……。
「沖縄県では、高濃度のPFASが検出された北谷町の浄水場について、活性炭の更新費用約16億円を県が負担する懸念が生じています。米軍基地が原因と強く疑われているにもかかわらず、です」
昨年、沖縄の女性たちは、国連の女性差別撤廃委員会の会議にまで出向き、「PFASの汚染が女性の安全と子どもを産み育てる権利を侵害している」と訴えた。
「これが日本政府への勧告にも繋がりました。命に敏感な女性が手を取り合い粘り強く声を上げれば、世論は変えられる。海外の事例を通じて、それは明らかです」
命こそ宝。日本政府の迅速な対応が求められる。
画像ページ >【写真あり】がんと闘いながらPFASの危険性を訴えたアマラさん(他2枚)
