水玉模様や「かぼちゃ」の作品で世界的に知られる前衛芸術家・草間彌生さんが8月14日、97歳で亡くなった。草間さんの公式サイトによると、亡くなる直前まで創作を続けていたという。
1957年に渡米し、ニューヨークを拠点に前衛芸術家として活動した草間さん。帰国後も精力的に作品を発表し、文化功労者、文化勲章をはじめ国内外で数々の評価を受けてきた。近年はルイ・ヴィトンなど世界的ブランドとのコラボレーションをはじめ、水玉模様の彫刻が大々的にフィーチャーされ、「草間彌生」という存在自体が一つのブランドになった。真っ赤なかつらを被ってメディアに登場する彼女の姿は、現代アートに関心がない層からも知られる日本を代表する芸術家だった。
そんな「ポップアートのアイコン」ともいえる存在になった草間さんが、かつて自著のなかで日本のマスメディアに対して強い不信感をつづっていたことは、あまり知られていない。
2002年に作品社から刊行された自伝『無限の網―草間彌生自伝』のなかで、1950年代に単身渡米し、心の病と闘いながら前衛アーティストとして成功するまでの半生が綴られていた。
そのなかで草間さんが繰り返し批判しているのが、日本の美術界やマスメディアだった。
「1960年代後半から草間さんは、ニューヨークを中心にゲリラ的に裸の男女に、水玉模様のボディペインティングを施したり、ベトナム反戦を訴えて乱痴気騒ぎを仕掛けたり、既存の美術の枠を飛び越えた前衛的な表現を次々と展開していきました。
一方、日本ではその活動が十分に理解されず、スキャンダラスな側面ばかりが取り上げられ、バッシングを受けることが多々ありました」(美術評論家)
しかし、同書のなかで草間さんは、そうした自分の活動が日本ではスキャンダラスな形で伝えられたことへの不満をたびたび語っている。
《ニューヨークの私のオフィスには、入れかわり立ちかわり日本人のライターやカメラマンが現われて、「あなたは日本で誤解されている。国辱ものだとさえ言う人がいる。私はそういうイメージを正すために来た」などと、調子のいい言葉を口にし、乱交パーティやヌード・ハプニングなどの取材をしていく。その間、食事や宿泊の世話までさせ、さんざん迷惑をかけておきながら、私を平気で裏切るのだった。
たとえば、Kというカメラマンは、私たちスタッフをさんざん利用し、約束を破り待ちぼうけをくわせ、挨拶もなく姿を消した男だが、彼はあたかも自分がこっそりと、秘密パーティに潜入して撮ったかのごとく言いふらして写真を発表し、私たちの協力を得たことにはまるでふれていなかった》
当時、オフィスには大学教授や芸術家、芸能人らも訪れていたが、草間さんは彼らについても同様に批判し、《ニューヨークに私を訪ねてくる日本人には、人間のクズのようなものが多かった》とさえ綴っている。
《日本は百年遅れていると実感した》と述べる草間さんにとって、当時の日本は自分の芸術を正しく受け入れてくれる存在ではなかったのかもしれない。
そんな草間さんの評価は、時代とともに大きく変わっていく。
1990年代以降、欧米の主要美術館で回顧展が開催され、日本でも大規模な展覧会が相次いだ。2016年には文化勲章を受章し、米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」にも選出。世界的アーティストとしての地位を確固たるものにした。
草間さんの逝去が伝えられた8月27日に、東京・新宿にある「草間彌生美術館」の前には海外から訪れた外国人観光客の姿が見られた。日本で十分に評価されなかった時期を経て、海外で先に評価を確立した草間さん。97年の人生には、かつて自分を理解しようとしなかった日本社会やメディアへの強烈な反骨心から生涯作品を作り続けた一人の芸術家の姿があった。
画像ページ >【写真あり】「億は超える」鈴木京香が所有する草間彌生さんのInfinity Nets(他7枚)
