9月14日、上方漫才界を長年にわたり牽引してきた漫才コンビ「中田カウス・ボタン」の中田ボタンさんが亡くなった。78歳だった。’19年2月にステージ4の肺がんが発覚して以降、抗がん剤治療などを続けながら闘病生活を送っていた。治療の効果で一時は体調も回復、今年の4月には親友の落語家・桂小文枝(75)のYouTubeチャンネルに出演し「体調は万全やがな」と元気な姿を見せていたが、帰らぬ人となった。
不世出の漫才師・中田ボタンさんとはどのような人物だったのか。本誌はボタンさんをよく知る芸能関係者に、舞台上での輝き、愛された人柄、そして最後まで持ち続けたお笑いへの情熱について話を聞いた。
「’67年にデビューすると、漫才師はスーツ姿が常識だった時代に、長髪にジーンズという姿で舞台に立ち注目を集めました。若い女性ファンから追いかけられるほど、ボタンさんの人気はすさまじかったです」(芸能関係者、以下同)
アイドル並みのルックスで人気を博すいっぽう、賭博にのめり込み、借金まみれになった時期も。
「家賃を滞納して公営住宅の担当者が集金に来た際には、『踏み倒そうなんてさらさら考えてない。ただ、残念なことにいまは金がないだけや』と開き直って堂々と追い返し、芸人仲間から総ツッコミを受けたといいます。
ただ、自分がどれほどお金に困っていても、お弟子さんや後輩への思いやりときっぷのよさは徹底していたようです。かつてのお弟子さんから聞いた話ですが、自身は『起きてたら腹が減るから』と楽屋の床に新聞紙を敷いて寝転んでいたにもかかわらず、昼になると弟子一人ひとりに『好きなもん食うてこい』と千円札を毎日手渡していたとか」
料理店で後輩と居合わせると、その場の勘定だけでなく、「次きたときもこれで食べさせたげて」と店にお金を置いていくなど、男前な優しさで後輩たちから慕われていたという。
本業である漫才のツッコミ技術も秀逸で、ダウンタウンの浜田雅功(63)が客席や舞台袖からボタンさんの漫才を熱心に研究していたことでも知られる。ひと呼吸置いてからの絶妙なタイミングのツッコミは、若手芸人たちの最高の手本であった。
‘93年にスタートした関西ローカルの朝の情報番組『痛快!エブリデイ』(関西テレビ)では、桂ざこば、桂きん枝(現小文枝)、太平サブローらと、「男がしゃべりでどこが悪いねん!」という伝説のコーナーに出演。
「生放送でフリートークを繰り広げる同コーナーで、今では即アウトとなるような際どい発言を連発。そんななかでも、ボタンさんはアドリブで最後の最後にその場を笑いのうずにまきこんでオチをつける。まさに天才ワザでした」
‘19年にがんが発覚する前、ボタンさんは誰にも言わず、人の見ていないところで密かに喀血しながら舞台に立ち続けていたという。病院で告げられた診断は「ステージ4を通り越して、余命一週間」という衝撃的なものだったが、抗がん剤治療により奇跡的に進行がストップした。
‘23年2月には吉本興業との契約が終了し、事実上引退となっていたが、その後も健康のためにウオーキングを日課にしていた。お気に入りの喫茶店でコーヒーを味わった後、お決まりのコースを歩く。帰りにデパ地下で夕飯のおかずを買って帰る日々を過ごしていたという。今年4月に桂小文枝のYouTubeに出演した際も「1万8000歩歩いて帰った」と誇らしげに語っていた。日々のウオーキングは、夢を実現させるための意味もあったという。
「ここ数年、ボタンさんは親しい芸人らに口癖のように『もう一回舞台に立ちたい、漫才がしたい』と話していました。そのためにも少しでも健康でありたいと考えていたようです」
慣れ親しんだ舞台へもう一度――、その望みがかなうことはなかったが、ボタンさんが遺した数々の笑いの記憶は、これからも多くの人々の心に残り続けるだろう。
画像ページ >【写真あり】今年4月「体調は万全やがな」と語っていた中田ボタンさん(他1枚)
