伊集院光(写真:本誌写真部) 画像を見る

挫折を経験した人は強い。

 

10月13日深夜放送の『伊集院光&佐久間宣行の勝手に「テレ東批評」』(テレビ東京系)で、伊集院光(58)がこれからテレビ出演の増えそうな“ママさんタレント”として、はしのえみ(53)を挙げた。

 

はしのと言えば、1998年に『王様のブランチ』(TBS系)の「女王様のお買い物」というコーナーでブレイク。2001年には『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラーに抜擢される。松浦亜弥(40)のモノマネも好評を博し、バラエティに欠かせないタレントになった。

 

私生活では2009年に俳優の綱島郷太郎(53)と結婚し、15年に第一子を出産。子育てのため芸能活動をセーブしていたが、伊集院は9月7日放送の『よじごじDays』(テレビ東京系)を見て、はしのの変わらぬ力量に舌を巻いたという。

 

「もともと、バラエティの腕はめちゃめちゃある人。欽ちゃんに鍛えられてるから。全然久しぶりの感じもなくて」

 

鹿児島出身のはしのは高校2年の時、歌手を目指して上京。90年、渡辺美奈代(57)主演の大映ドラマ『テニス少女夢伝説! 愛と響子』(フジテレビ系)でデビューした。『スクール☆ウォーズ』(TBS系)の大ファンで、好きな言葉に「信は力なり」を挙げる彼女にとって、願ってもないスタートだった。

 

歌手デビューのチャンスも、すぐにやって来た。小堺一機(70)の番組で、アイドルグループ『CHA-CHA』の妹分『CHU-CHU』を作る構想があり、はしのはオーディションに合格した。

 

だが、出演コーナーは3回ほどで終了し、企画は頓挫。しばらくすると、番組スタッフに『欽ちゃん劇団』入りを勧められ、一期生となった。

 

《『歌がしたいのにコントの授業?』と疑問に思ったりもしたけど、欽ちゃんに『まずは自分に合うものを見つけたほうがいいよ。やりたいことは成功してからできるから』って言われて。そのひと言で何にでも挑戦しようと思えたんです》(『non・no』2003年12月20日号)

 

素直さと柔軟性が、のちの活躍につながった。

 

だが、成功に至るまでには、紆余曲折があった。『欽ちゃん劇団』の稽古は1日8時間にも及んだ。萩本欽一(85)は演者に設定だけを与え、アドリブのコントを延々と繰り返させた。大将は「違う」「そうじゃない」とダメ出しをするものの、抽象的なヒントを言うだけ。はしのは、どうすればいいのか混乱した。

 

萩本には狙いがあった。具体的な答えを教えれば、若手は真似するだけになり、個性が生まれない。あえて漠然とした言葉に留め、自分の頭で考えさせたのだ。

 

1日中、ダンスレッスンが課される時もあった。萩本はコントもトークも「間」が最も重要だと悟っており、それを身につけるためには、踊りが役立つと知っていたからだ。

厳しい修業期間を経て、はしのは「やりたいこと」を実現する。92年、アイドルグループ『ブカブカ』のメンバーになり、翌年『悲しみのゴジラ』で念願の歌手デビューを果たす。しかし、ブレイクには至らない。同時期には『欽ちゃん劇団』の一員として、浅草のショーレストランにも出演していたが、全く手応えを感じなかった。

 

《同じメンバーと同じ場所での年中無休の公演が2年も続いて、当時は精神的にも体力的にもいっぱいいっぱいの状態。お客さんが2、3人しか入らない日もあって、「ここでがんばっていても、みんなに知ってもらえるのかなぁ」という不安もあった。小さい頃から憧れていたテレビの世界と、いま自分が立っている場所とのギャップにたまらなくなった》(『SAY』2004年5月号)

 

ショーの出番の合間、はしのは「私、もうダメです」と事務所社長の前で号泣。ほどなく、鹿児島に帰省した。『ブカブカ』は96年1月発売のシングル『負けるもんか!』を最後に解散しており、彼女がこのまま芸能界から引退しても、何ら不思議ではなかった。

 

夢を追い続けるか、諦めるか――。迷っていた時、新たなチャンスが舞い込む。それが『王様のブランチ』のレポーターだった。歌手の夢が潰えた数か月後、はしのはバラエティで捲土重来の機会を手に入れた。

 

その仕事で結果を出すと、2年後には金髪にフリフリのドレスという“お姫様ルック”に扮した「女王様のお買い物」が始まる。このコーナーが大人気となり、他の番組からもオファーが殺到した。彼女は、欽ちゃんの言葉を思い出したのではないか。

 

「やりたいことと向いてることは違うことが多いから、まず自分に向いてることをみつけなさい」

 

はしのは歌手ではなく、バラエティに適性があった。03年秋には、爆笑問題と『決定!これが日本のベスト』(テレビ朝日系)で司会を務めるなどバラエティ6本、ドラマ1本のレギュラーを持ち、CM出演も4本と超売れっ子に。翌年には、NHK大河ドラマ『新選組!』にも出演した。

 

《昔は自分を2枚目キャラだと勘違いしてたんですけど(笑)、『見た目で勝負してもしようがないから、欽ちゃんファミリーの強みを生かそう』って思ったんです。コメントする時には舞台の袖で見てた先輩のコントが参考になったし、かぶり物や変装も抵抗なくできましたね》(前掲『non・no』)

 

先の見えない状態で、1日8時間の特訓を繰り返す日々は辛かったに違いない。売れないアイドル時代の苦悩も計り知れない。だが、この経験は数年後、プラスに変わった。普通の芸能人なら長く感じるロケや収録があっても、欽ちゃんの稽古に比べれば短い。番組でウケない時があっても、欽ちゃんほど長い反省会をする人はいない。テレビに出れば、視聴者が2、3人ということはない。

 

『欽ちゃん劇団』で修業をした彼女は、どんな時も泰然自若としており、咄嗟のアドリブにも強かった。だから、共演者やスタッフに頼りにされた。

 

今年2月、はしのは約30年所属した佐藤企画を離れ、個人事務所を設立。最近は、劇場『新宿バティオス』で、月1回『堀口はしのお話の会』を開催。9月には同所でのライブ『未来をさがす舞台 お客は欽ちゃん』に出演し、萩本のツッコミや無茶振りを浴びながら、演者の中で最も笑いを取っていた。実力の高さは今も変わっていない。

 

『テレ東批評』で伊集院は、はしのの『50代で10歳の子育て』という他のママタレにはない経験にも着目。「今フリーなの? どこ(のプロダクション)に入るかによって、(ママタレの)結構なエースになってくるんじゃないかしら」と語った。もし本人に「ママタレとして売れたい」という気があれば、再びバラエティ界を席巻するだろう。

 

(文:岡野誠)

 

【PROFILE】 ライター・松木安太郎研究家。〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。著書に『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)がある。萩本欽一フリークでもあり、『新宿バティオス』での欽ちゃんライブに毎回通っている。2019年から2020年にかけて行われた『欽ちゃん公開オーディション』を観客として何度も鑑賞。萩本欽一の稽古の厳しさを体感した。

画像ページ >【写真あり】欽ちゃん劇団時代は当時の所属事務所社長の前で「私、もうダメです」と号泣(他1枚)

出典元:

WEB女性自身

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