東洋英和女学院内に、「村岡花子文庫展示コーナー」が開設しました。
1991年より、東京大森の自宅の書斎を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として予約制で公開してきましたが、この度、蔵書や資料、愛用品を花子の母校である東洋英和に寄贈させて頂きました。
麻布、鳥居坂の通りに面した大学院棟の入口———「ブルーシアター六本木」の向かい、「国際文化会館」のはす向かい———に、慎ましやかに「学院資料・村岡花子文庫展示コーナー」と書かれたパネルが立っています。男子禁制ではありません。どなたでもお入りになれます。
入ってすぐ右側のロビーの一角、花子の書き机とスタンド、本棚、愛用のウェブスターの辞書が常設され、晩年の書斎の雰囲気が再現されています。
関東大震災でも、第二次大戦でも家が焼けなかった上、祖母は物を捨てられない性質、母もそれを受け継ぎ、姉も私も整理整頓が苦手という好条件が重なって、うちには古い本や原稿が残っていました。
書斎は祖母が亡くなった日のまま、全くそのままの状態で、私たち家族の居間になりました。私がまだ物心つかないうちに祖母は亡くなったので、私は書斎に残る気配から祖母を感じていたように思います。
それが生活の中の、当たり前の環境だったのですが、21年前に母が亡くなった時、膨大な蔵書類をどうすればいいのか、それは私自身の問題として突然迫ってきました。
グリーフ・ワークという言葉があります。
大切な人や物を失った後、大きな喪失感を埋めていくための課程を言うそうですが、今にして思うと、ひとつひとつ資料を繙き、解読していく地道な作業は、母を失った悲しみから立ち直るために必要な課程———私にとってのグリーフ・ワークだったようにも思います。
かつては当たり前のようにそこにあった物たち———一冊の本、一冊のノート、一通の手紙、一枚の原稿用紙———が、私を私の生まれる前の時代にいざなってくれる扉となり、幼い頃の母や女学生時代の祖母の姿を通して、当時の人々の喜びや悲しみ、そして未来にかけた願いを伝えてくれました。今よりもずっと厳しい時代に精一杯生きた人々の姿や言葉に触れ、私は再び前を向く力を与えられました。
一番大切なのは、「物」ではなくて「精神」だと思います。
しかし、精神というのは目には見えません。目に見えないものを常に感じ続けるには、私たちの生活は、あまりに雑駁で、多くの事柄に心をとらわれてしまいます。心が求めた時、知りたいと思った時に手がかりとなる「物」が残っていたことは幸いでした。
我が家の真ん中にあった祖母の書斎が無くなってしまうのは、実を言うと一抹の淋しさも感じました。でも、きっと祖母は青春時代を過ごした懐かしい学窓に帰って、喜んでいることでしょう。紙や本は時と共に劣化していきますし、残されたものをまた次の世代へと残していくために、東洋英和女学院への寄贈は最良の選択だったと思っています。
新設「村岡花子文庫」が、花子だけではなく、同時代を生きた作家たち、外国人婦人宣教師たちの足跡と精神を伝える大きな扉となってくれることを心から願っています。
ご興味のある方はぜひお立ち寄りください。
☆学院資料・村岡花子展示コーナー
(東洋英和女学院大学院棟1階ロビー 東京都港区六本木5-14-40)
企画展Vol.1
・村岡花子『運命の一冊』
・村岡花子を育てた先生方
2015年4月15日〜7月20日9時〜20時 (日曜日・祝日をのぞく。土曜日は19時まで)
※ 年に3回、テーマごとに展示替えがあります。