今回は、躍進を続けるテニスの錦織圭選手とコーチのマイケル・チャン氏についてです。
今年の錦織選手は、去年までとはまるで違っていました。数々の世界大会で優勝し、四大大会の一つとして知られる全米オープンで準優勝、そして先日の世界ランキング上位8人のみが参戦できるATPワールドツアー・ファイナルでベスト4に。今年11位でスタートした世界ランキングも、自己最高の5位でシーズンを終えることができました。
何を隠そう、私は錦織選手の大ファンであります。昨年の全仏オープンを始め、今年の躍進の発火点となったバルセロナ・オープンも対戦表を決めるドローセレモニーから優勝を決めた決勝戦までの全てに足を運んで感動を味わいました。優勝直後に彼が投げた優勝ボールを受け取ったのは、私のちょっとした自慢です。
さて錦織選手が今年に入ってここまでの活躍を見せたのはなぜでしょうか。それは特に往年の名プレーヤーであるマイケル・チャン氏をコーチに招いたことが大きいと思います。
錦織選手が渡米したのは、わずか13歳。その一番の理由として挙げているのが“日本にはロールモデル(手本)がいなかった”ということです。日本は練習環境こそ理想に近いものの、トップの実績を持つライバルはいない。それに対してアメリカでは世界から集まった優秀な選手が大勢いて、切磋琢磨できます。そこで努力し頭角を現した錦織選手ですが、トップ10の壁を破ることができませんでした。そうしたなかで出会ったのがチャン氏です。
台湾系アメリカ人のチャン氏は、全仏オープンを史上最年少の17歳3カ月で制覇。通算34勝、世界ランキング最高2位。名実共にトッププレーヤーです。錦織選手と同じアジア系で彼より小柄なチャン氏(錦織選手は身長178センチ、チャン氏は175センチ)が全仏という四大大会の一つを制覇したのです。
まさに完璧なロールモデル。体の大きな選手が席巻するテニス界において、小柄な体形は圧倒的不利とされています。しかしチャン氏は小柄だからこそ素早く身動きできると捉え、コートを走り回るプレーで成績を残した。弱点を強みに変える姿勢や揺るぎない実績に基づくチャン氏のアドバイスは、錦織選手が欲していたものだったでしょう。そしてチャン氏も悪戦苦闘した昔の自分を彼に投影し、その先を照らす灯りになりたいと思ったのでしょう。
辛口として知られるチャン氏の言葉のなかでも一番深く突き刺さったものとして、 錦織選手は「自分を信じろ(Believe Yourself)」と答えています。日本人特有の礼儀正しさや控えめな言動で知られる錦織選手に、チャン氏は「コートの中では自分以外は打ち負かすべき相手であり、そのための気概や絶対的自信を持つべき」と指導したといいます。
その効果か、錦織選手は準優勝を飾った全米オープン直後に「勝てない相手はもういない」と告白。他でも「5年以内に世界ランキング1位になる」と宣言するなど、強気な発言をするようになりました。
哲学者のニーチェは、「師として最も嬉しいのは、自分の弟子が自分を超えたときである」と言いました。いまだアジア人としては成し遂げられていない四大大会での優勝や、師も到達できなかった世界ランキング1位に輝く錦織選手を見るのが、チャン氏の一番の喜びではないでしょうか。
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吉本ばなな
1964年東京生まれ。’87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。’88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、’89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、’95年『アムリタ』で紫式部文学賞、’00年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞をそれぞれ受賞。海外でも多くの賞を受賞し、作品は30カ国以上で翻訳・出版されている。近著に『鳥たち』(集英社刊)、『ふなふな船橋』(朝日新聞出版社刊)など。