12月某日 北イタリア・パドヴァ
上野動物園の赤ちゃんパンダ、シャンシャンの観覧抽選に予約が殺到しているそうですが、ホントに不動の人気なんですね、パンダ。モコモコしててモタモタしてて、愛嬌のある佇まい。別に嫌いなわけではありませんが、子供時代にこのパンダで嫌な思い出があるせいか、今ひとつ自分的にはそれほど関心のある動物ではありません。
さかのぼること今から45年ほど前、上野動物園に日本における初めてのパンダ「ランラン」「カンカン」がやってきたという報道に煽られた私の母と叔母は、自分たちの子供に希有な動物を見せる!と意気込み、公開初日の大混乱の上野動物園へ向かいました。
その時の写真がまだ残っていますが、そこにははしゃぐ大人2人と、疲れ果てて子供なのに眉間に深い皺を寄せ「いいかげんにせい!」と叫び出さんばかりの表情をしている、私や従姉妹たちが写っています。
この時の記憶は未だになぜかはっきり残っています。窒息しそうな長蛇の列、私の前にいた人のサイケ模様の黄緑の服、やっとの思いでパンダの檻の前に来たのに、ほんの何十秒という単位でしか見られなかったこと……。しかもせっかく目のあたりにしたそのパンダが丸くて白い毛のボールと化して眠っていたため、微動だにしなかったこと。そんな記憶が頭の中に焼き付いています。
当時の記録を振り返ると、パンダ公開日に上野動物園に集まったのは5万6千人、そのうちパンダを見る事ができたのは1万8千人だったとありますから、私たちは要するにラッキーだったわけですが、ラッキーといえるほど素敵な思い出とは言えないのが正直な記憶です。未だに人混みや満員電車を嫌悪するのは、あの日のトラウマがあるからじゃないかとすら思っていますが、だいたいなぜそこまでして人々はパンダが見たいのでしょうか?
数年前、イタリアでこんな事件がありました。イタリアでは昔から年末や復活祭といった休暇の時期になると、都市部にサーカスなるものが出現します。彼らは毎年様々な“目玉”を用意して客寄せをしているわけですが、私の住む街の近郊にもやってきた某有名サーカス団のその時の目玉がなんと“パンダ”だったのです。
当然“何!? パンダだと!”と衝撃を覚えました。中国の大切な外交ビジネスの糧であり、莫大なレンタル料を支払っても期間限定でしか貸してもらえないはずの“あのパンダ”が、サーカスと一緒に来るというのです! 周辺のイタリア人たちはざわめきました。そしてこの謎のパンダ来訪呼び込みの成果があって、いつもよりも沢山の観客がサーカスには詰めかけたようですが、そこで彼らが目にしたものは、なんとパンダ色に毛を塗られた巨大チャウチャウ犬だったのです。
ネットにはパンダ色に塗られた犬と笑顔で映っている子供や大人の写真が結構上がっていましたが、当然この偽造パンダについては動物愛護法にひっかかり、パンダ犬は保護され、サーカス内の象をはじめとする他の動物も出演禁止。サーカスは客を騙したということで詐欺罪として訴えられました。
客を騙したサーカスの思い切りも相当ですが、まんまと「えっ、ホントにパンダが来るの!? 見たい!!」と興奮してサーカスに出向いてしまった観客のパンダへの思い入れも相当です。でもそれもそのはず、イタリアにはパンダのいる動物園がありません。きっと莫大なパンダレンタル料を中国に払えるほどの国家予算がないのでしょう。なので、どうしてもパンダを見たい人は、一番近くても隣国スイスへ行くしかないのです。それを考えると、偽造パンダであっても見てみたい、子供たちを楽しませたいという思いを募らせる人がいても、それは仕方のない事かもしれません。
中国・成都のジャイアントパンダ繁殖研究基地という場所へ連れていかれて……
この世にはパンダ級に希有でなかなか見られない動物はまだまだ他にいるでしょうし、パンダよりも可愛い動物だっているかもしれないのに、それでも人はパンダが見たい、一度でいいからナマを見てみたい、と思うわけです。ある人の分析によれば、それはやはりあの敏捷性に欠けた、あの愛玩仕様のずんぐりとした体つき、やる気のなさ丸出しのだらしのない態度、離れた目とその周りを縁取る黒い模様、そういったものが、人間に「守りたい!」という気持ちを発動させるのだとか。
実は今から数年前、中国の四川省の省都・成都市を訪れていた私は、街を案内してくれた地元の人から「ここまで来て見ないで帰ったら、一生後悔するから!!」とゴリ押しされて、成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地という場所へ連れていかれました。成都では他にも行きたい場所があったのですが、その中国人の女性があまりにも「かわいいかわいいジャイアントパンダちゃん、かわいいかわいいジャイアントパンダちゃん、かわいいかわいいジャイアントパンダちゃん(以下略)」と無限に繰り返すので、「うるさーい!!」と一言叫んで妥協することにしたのです。
確かに大きな敷地の繁殖基地のあちこちで見かける数々の生パンダは、じっくり見ていると興味深いものがありました。そう、パンダはおそらく人間ならば誰も心底に感じているであろう「怠けたい」「ダラダラしたい」という思いをそのまま体現したような生き物だということです。だいたい、私が見た限り、しっかり四つ足で歩いていたり、敏捷に何らかの行動をとっているパンダは一頭もいません。ほとんどが地面や樹木の上でやる気なさ全開でだらりと寝そべっているか、せいぜいぼちゃっと座っているか、そのどちらかです。
ああ、確かにこれじゃ野生環境での繁殖は厳しいだろうなあ、特別な保護をしなかったら絶滅危惧必至だな、と痛感。こんなにもだらだらとした生き物であれば、獰猛な肉食獣にとっては捕獲楽勝の格好のターゲットとなるでしょう。でも恐らく人間は、そんなだからこそパンダに憧れのような、癒しのような魅力を感じるのかもしれません。
最後に案内人に「研究費寄付すればかわいいかわいいジャイアントパンダちゃんを抱ける!かわいいかわいいジャイアントパンダちゃん!!」と、これまた繰り返し説得され、決して安くはない研究費を寄付して私は生後1年というパンダを抱かせてもらいました。心底では、あの子供の頃の上野動物園の苦い記憶をリベンジしたいという思いもあったのでしょう。
しかし、係員が私に連れてきてくれた子供パンダはなんだか灰色に薄汚れていて、しかもおやつの最中だったのか片手には食べかけのスイカを持っていて、口周りと胸と腹がそのスイカの赤い汁でベトベトになっています。座っている私の上にポンと置かれた子供パンダは想像以上に重たかったうえに、臭い!「うわ、くっさ!!!」と思わず声が漏れてしまうほどの野獣臭。もこもこであるはずの巨大な頭の毛は全体的にごわごわしており、明らかに人間とは共存できない、むしろ人間を拒絶する種類の生き物だと感じました。
私たちがいかに妄想でパンダという生き物をファンシー仕立てにしているのかが、その子供パンダを暫く抱きながらじっくり確認することができたのでした。
パンダはどんな生き物よりも、人の想像力や憧れを膨らませてくれる夢の動物なのです。パンダ愛は多くの人々にとって、アイドルに夢中になるのと同じ心理を働かせるのでしょう。自分の人生でアイドルというものを一度も持った事がない私にとっては、だから、周りが騒ぐ程何がいいんだかさっぱりわからん動物だった、といえるでしょう。
最近は姿を消しましたが、一昨年くらいまで私が暮らす北イタリア・パドヴァの街の片隅に、しょぼいパンダの着ぐるみを着て物乞いをしている人がいました。中身がどんな人だったのか最後まで知る術はありませんでしたが、そのよれよれの、おにぎりみたいな三角形の顔(しかも陥没気味)をした淋しく薄汚いパンダを見かける度、感慨深くなったものです。愛されたい気持ちが募って「パンダになればきっとうまくいく!」と思い立ってその着ぐるみを装着することにしたのでしょうけど、それが逆に悲惨過ぎて人々はその着ぐるみパンダを避ける様に歩いていました。
パンダは、その佇まいゆえ人間の心を惑わす罪深き禁断の生き物なのかもしれません。シャンシャンの成長をこれからメディアがどう捉えていき、人々がそれにどう心を動かされていくのでしょうか。
ちなみに日本にいる赤ちゃんパンダは、最近話題の上野のシャンシャンだけではありません。和歌山県のアドベンチャーワールドでは子供パンダが2000年以来15頭も誕生していて、長蛇の列で窒息するような思いをしなくてもゆとりを持って「かわいいかわいい赤ちゃんパンダちゃん」を見られるそうですから、パンダでじっくりと愛と英気を養いたいと思っている方は、そちらへ出向かれるのもいいかもしれません。