お経を聴くのは葬式の時くらい。それも意味が分からないし、お坊さん独特のリズムで読まれるので、聴いているうちにだんだんと眠くなる……。そんな人は多いだろう。 
それじゃ、あまりにもったいなさすぎる!
仏教のエッセンスが詰まったお経は、意味が分かってこそ、ありがたい。世界観が十二分に味わえる。この連載は、そんな豊かなお経の世界に、あなたをいざなうものである。
これを読めば、お葬式も退屈じゃなくなる!?

著者:島田 裕巳(シマダ ヒロミ)
1953年東京都生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。現在は東京女子大学非常勤講師。著書は、『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『葬式は、要らない』(以上、幻冬舎新書)、『0葬』(集英社)、『比叡山延暦寺はなぜ6大宗派の開祖を生んだのか』『神道はなぜ教えがないのか』(以上、ベスト新書)、など多数。

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●密教は「秘密の仏教」

 

インドに生まれた仏教は、アジアの各地域に広まっていくとともに、多様な発展を見せていった。そうした動きのなかで、きわめて重要なものが「密教」の誕生と、その展開であった。

 

密教は秘密の仏教、神秘的な仏教を意味する。あるいは、「金剛乗」や「真言乗」とも呼ばれる。

 

乗は、サンスクリット語の「ヤーナ」の漢訳語で、乗り物のことを意味している。小乗や大乗という言い方があるが、それは、仏教というものは、この世において迷い、さまざまな煩悩にまみれている衆生(人間を含め、生きとし生けるもの全体をさす)を悟りの世界に導いていく乗り物である考えられているからである。

 

小乗は、サンスクリット語で「ヒナヤーナ」と言うが、それは劣った乗り物を意味する。主に東南アジアに広がった南方仏教のことを小乗と呼ぶことがあるが、小乗は、あくまで大乗の立場からの言い方で、そこには小乗を否定する意識が働いている。

 

したがって、小乗は「部派仏教」と呼ばれることもあるし、最近の日本では、「テーラワーダ・ブディズム」という言い方が定着し、広く使われるようになっている。

 

このテーラワーダ・ブディズムが日本で知られるようになったのは、比較的最近のことで、これまで日本で栄えてきた仏教は、基本的に大乗仏教、「マハーヤーナ・ブディズム」である。ここまで取り上げてきたお経も、皆、大乗仏教のもの、つまりは大乗仏典である。

 

密教は、この大乗をさらに超えた仏教であるとされる。金剛乗や真言乗という言い方をするのも、新しい乗り物であることを強調するためである。

 

今から20年前にオウム真理教の事件が起こったとき、殺人を正当化する教えとして「ヴァジラヤーナ」ということの注目が集まったが、実は、ヴァジラヤーナの訳語が金剛乗である。その点では、ヴァジラヤーナは決してオウム真理教に独自のものではなかったのである。

 

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●ヒンズー教との深い関わり

 

密教は、部派仏教や大乗仏教が生まれた後にインドで勃興するが、それは7世紀頃のことである。釈迦の時代からは1000年以上経っていたことになる。その点では、仏教の教えのなかでも、かなり後になってから生まれたことになる。

 

密教は、インド土着のヒンズー教や他の地域における土俗的な信仰を取り入れ、呪術的な側面を発展させていった。特殊な祈禱や儀礼の方法を開発し、現世利益に結びつくような功徳を与えるものとして広く受け入れられていくこととなった。

 

仏教が生まれる以前には、インドにはヒンズー教の前身となるバラモン教が存在した。仏教や、それと同時代にジャイナ教などが生まれても、バラモン教が消滅してしまったわけではない。バラモン教は、仏教やジャイナ教と対抗しつつ、その影響を受けて、今日のヒンズー教へと姿を変えていくこととなった。

 

逆に仏教も、ヒンズー教の影響を受けていくが、とくにこの密教の誕生については、ヒンズー教がそこに深くかかわっていた。ヒンズー教の神秘体験を重視する考え方が、仏教に取り入れられて、密教が生まれたのである。

 

(「密教」つづく)

 

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