■撮影現場に行くと台本にはなかったシーンが
ロケバスに揺られて鎌倉から東京へ帰ってくるのは、毎日、夜になってから。翌日も朝6時に出発だった。
「勝野さんとは、睡眠時間を計算しながら、1年間、毎晩のようにバーで酒を飲んでいました。勝野さんは飲んでも変わらない人。あの人は熊本の阿蘇の人なんだけど、すごく朴訥で人懐っこい。だから石原裕次郎さんとか竜雷太さん、下川辰平さんなどの、『太陽にほえろ!』の錚々たる大先輩のなかで、かわいがられたのでしょうね」
『俺たちの朝』のメイン監督を務めていた山本迪夫氏と小倉さん、勝野さんの3人で飲んだことがあったという。
「山本監督は自分の子どものように勝野さんを育てたいから、厳しいわけ。酒席でも『勝野はどうのこうの』っていうから、僕が『飲んでいる席でやめなさいよ』って間に入ったら、監督がお怒りになってしまって……」
次の日、撮影現場に行くと台本にはなかったはずのマージャン卓が用意されていた。
「監督は僕がマージャンをやらないのを知っていて。マージャン牌を積もうとしても、ガラガラと崩れてしまってできないんですよ。すると監督は『小倉、ちゃんとやれ!』って怒るんです。こっちも『きったねえなあー』と言い返したり(笑)。僕にとっても、楽しい思い出の詰まったドラマでしたね」
【PROFILE】
小倉蒼蛙
’51年、東京都生まれ。小学3年生から東映のエキストラとして映画に出演。’17年には初恋の相手であった女性と4度目の結婚。病気を機に、一郎から俳号としていた蒼蛙に改名した
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