映画「精神」 想田和弘監督×山本昌知医師 ロングインタビュー


 

613日、シアター・イメージフォーラム(東京・渋谷)を皮切りに、話題のドキュメンタリー映画「精神」の公開が始まった。

映画「精神」公式サイト

http://www.laboratoryx.us/mentaljp/index.php

その公開初日、想田和弘監督とその撮影の舞台となった「こらーる岡山診療所」(岡山県)の代表、山本昌知医師の話をうかがった。

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想田和弘
監督は、前作「選挙」において、音楽もナレーションもテロップも一切入れないという画期的な手法のドキュメンタリー作品で、日本のドブ板選挙を追いかけ、世界にその名を届かせた新進気鋭の映像作家である。

今回、監督が選んだ題材は、岡山県にある精神科診療所に集う様々な患者たち。前作同様、被写体との事前打ち合わせも顔のモザイクも一切なし。余計な効果音
やテロップによる装飾を排除した映像には、監督の真っ直ぐな視線が切り取った世界だけが存在し、圧倒的なリアリティーとして我々に迫る。
「精神」というタブーの世界に、どのように切り込んでいったのか?

 


 

「想田和弘監督」ロングインタビュー


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――とにかくショッキングでした。そもそもこの「精神」
という映画を作るきっかけとは一体何だったのでしょうか?

 

きっかけは私自身が二十歳くらいの頃に燃え尽き症候群を体験したり、テレ
ビ番組を作る仕事に携わっている時に精神的に参ってしまったりという経験からなのでかなり昔にさかのぼります。当時、そんな私の周りは、私と同じように疲れきっているのに、とにかく、何かに追われるかのように働き続けている人がたくさんいたんです。中には精神科医に掛かっている人自殺に追い込まれてしまった人もいました。現代社会全体精神疾患が覆っているような状況だと感じました。これを題材に
して一つドキュメンタリーを作れるのではないかと思ったのです

 

――「精神病」は、今までタブー視されてきた、かなり重たく扱いづらい題材だと思いますが。

 

 「そうですね。実はとても身近な問題であるのにも関わらず、あたかも存在していないかのように一般社会は振舞っているんです。私はそんな状態を見えないカーテンと呼んでいて、一般社会と精神科の世界というのは本当は地続きなのにその見えないカーテンで人工的に覆われているという風に感じたです。だからその見えないカーテンを取り除くことくらいなら私にも出来るのではないだろうと思い立ったのです。まずは、とにかく現状を見てみようと思いました

 

――淡々と撮り続けながらも強いメッセージが込められていると感じましたが。

 

基本的に私からのメッセージというのは有りません。この映画を観た方が何かしらのメッセージを感じ取られたとしたら、それは観た方がご自分で感じられたことであって私から発信した言葉を受け取
られたというわけではありません。私は自分の目で見たものを映画の中でただ忠実に主観的に映し出したにすぎないので、観た方はそれを自分なりに何かを感じて解釈していただきたいですね

――
監督がドキュメンタリー作家となった経緯をお聞かせください。


元々私がドキュメンタリーの世界に入ったのは半ばアクシデント的なところがあります。劇映画の勉強をする為に1993年にニューヨークに渡りまして、
在学中はフィクションをずっと撮っていたんです。その後の就職先がドキュメンタリーを作る会社で、そこでやっていく内にどんどん嵌っていってしまったんです。
ただドキュメンタリーと言っても、テレビ番組なので非常に制約が多かった。例えば今回の映画の題材だと、テレビ番組ではまず提案は通らないでしょう。もし
通ったとしても、最終的に必ずモザイクをかけろということになると思うのですよ。テレビ局はクレームとか訴訟を恐れているので、結局モザイクをかけること
で自分達を守りたいという意識が絶対に働きます


――今のドキュメンタリー作品を制作する手法は、その頃に学んだのですか。


「一般的な手法を学びました。大体のドキュメンタリーは予めリサーチをして、被写体候補とも打ち合わせをして構成表と呼ばれるシナリオを書きます。ですから撮影の許可が出る前に、適当なエンディングも、誰がどういうことを言うというのも
全部決まっているその順序がおかしいなと私は常々思っていたです。ドキュメンタリーですから当然自分が想像して書いたシナリオと、実際に撮影した内容とでは大きく違ってくる場合が多い
す。私も素直にそのままの映像を撮って帰るのですが、そうすると当初の予定と全然違っているのでプロデューサーに怒られてしまうんですよね。それがいつも
フラストレーションになっていました。ですから、事前に準備するとか元々ある先入観なんかを排除して現場で起こる素の状態を撮る。それをまた持ち帰って
じっくりと観察しながら、そこから感じたもの素直に映画にしていくということをやりたかったのです

 

――そこで監督が「観察映画」と呼ぶ制作手法が生まれたんですね。観客の我々はあたかも作り手の追体験をするかのように感じます。


「もしこれがちゃんとリサーチを行ってあれとこれとそれとを取材して撮影した場合、全体を俯瞰で見たような感じになって結果何も観たこと

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ならないと思うのですよ。先程も申しましたように、私は事前にリサーチを行わないものですから、一つの円を見つけたとしたらそれを深く深く掘り下げて行こ
うというやり方なのです。ドキュメンタリーの凄さというのは、ただの情報ではなく臨場感だと思うのですよ。ドキュメンタリーには少し悲しい歴史がありまし
て、日本では元々報道の延長として始まっています。ですからドキュメンタリーとは情報を伝えるものだと誤解されてきました。でも私が思うドキュメンタリー
とはただの情報ではな
く、経験や体験なのだと思うのです。今回は私自身が見た、個人的で主観的な体験ですね。その体験を映画というメディアを使ってよりリアルに再構築して、観
る人に追体験してもらうという趣旨なのです。それは即ちテレビ用のドキュメンタリーを撮ってきた過程で色々疑問に思ってきたこと、それらを全てひっくり返
したかったというのがあります。例えばナレーションを付けないとか、音楽を付けないとか、テロップを付けないとかというのはそういう意味合いがあります。
それらを付けてしまうと結局解説口調になってしまって、作り手が発する情報をただ単に受け止めるだけになってしまうんですよね。そうではなくてもっと時間
とか空気みたいなものを体感できるようにしたかったので、その為にはそういう諸々が必要なかったというわけです」

 

――確かに、音楽や効果音なんかを付けることで全く受け止め方も変わってきますよね。


「音
楽とかナレーションを付けると、解釈の幅が狭まってしまうのですよ。同じ画でも映像というのは物凄く多義的で、人によっては全然違う印象を受けるのです。
例えば笑っている画一つにしても、作り笑いなのか、泣き笑いなのか、それとも快活に笑っているのかと言う風に見る人によって捉え方が全く違ってくる
と思うのです。ところがそこにナレーションを入れてしまうと、その画がそのナレーション通りのイメージでしかなくなる訳ですね。この映画で言うと、登場し
てきた人に「~さん、統合失調症暦何年」というテロップを入れると、見る方としてはそのナレーション通りの先入観でしか見れないわけです。それは実はすご
く不自然なことであって、本当は初めて会う人とでも話している内に色んなことが分かってくるものですよね。その順序というのがとても大事だと思うのです」

 

――日本のドキュメンタリーで言うと、やはり原一男監督が極私的で全てをさらけ出すというような部分で言えば第一人者だと思うのですが、今回の想田監督の作品はご自分とは全く違うタイプの方がたを撮られているので、これはなかなか難しかったのではないかと感じたのですが。


カメラと被写体との距離、レンズの長さ、いつカメラを回していつ回さないのか、など全てにおいて主観的です。70時間の素材を得られて、最終的に2
15分に収めるということで68時間分くらいは切り捨てなければいけません。編集するにあたっても、何を残して何を捨てるかというのも全て主観で決める
わけですよね。原一男さんの作品と対照的に違うところは、対象が他者であるということ。つまり自分に向かっていないということです。私はどちらかと言うと
他者に興味があるので、他者を観察させてもらって理解していくタイプなんですね

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――奥様が撮影の手伝いをしていてご自分も精神的におかしくなり、山本先生の診察を受けたと聞きましたが、70時間の映像を10ヶ月かけて編集された監督は大丈夫でしたか?

私は自宅で編集作業を行いますので、妻もその内容を耳にしてしまいます。最初は妻もそれを聞いていて、また撮影中みたいに不安定な感情に引き込まれそうだと不安がっていたのですが、その内、だんだんと慣れて行ったみたいです。私の場合完全に作り手として映像に接しているので、冷たい言い方をすれば素材として観て
いる感じですね。当然人間として素の部分で接しているところもあるのですが、映画にするんだという意識が強かったので100%患者さんの話に没入する
ということには
ならなかったですね

――今回、映像に映し出された患者さんたちは、淡々と自分の過去や考えを話したり、時にはおどけたりと、わりと穏やかに感じました。実際にはパニックを起こして暴れているシーンなんかもあるのではないかと思うのですが、敢えてカットしたのでしょうか。

一度だけパニックになられた方とお会いした、というかそういう場面に出くわしたことがありました。でもその時はカメラは回せなかったです。過呼吸にな
られて床に倒れられているような状態でした。その方に事前に許可をいただいていなかったからという理由もあるのですが、今冷静になって考えると撮ってから
後々に許可をいただくこともできたのかな、と悔やんでいます。ただ私はよそ者としてお邪魔している身でしたので、私と被写体とがそういう関係ではなかったということでしょうね。

前に打ち合わせなどは行いませんので、基本的に撮影許可を頂いた方にはその場でカメラを回しだします。ただ撮影している
途中で、実はボランティアの方だと気付いたりすることもあって、そうやってカメラを回しながらその人のことを知っていく感じですね。ですから何処となく他
者として接しているというか、あくまで身内ではないという接し方ですね。私はそれはそれでいいと思っていて、そんなにべったり内側に張り付いている必要も
ない気がしますし、あるがままの関係性から生まれて来たものでいいと思っています。中には賛否両論、ドキュメンタリー的に言うと踏み込みが足りないとか思
われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私自身あまり踏み込むというのが好きではないんですよね

――
様々なシーンやインタビューは、実際に監督が経験したとおりに、時系列に編集しているのですか。

全然時系列ではないですね。時系列で編集を行ったとしても、それは単純にシーンの羅列にしかならないです。じゃあどうやって編集す

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るのかと言うと、と
りあえず私が興味深いと思ったシーンを一度全部集めて繋いでみます。でもそれだけでは映画としては全く面白みがないので、順番を入れ替えたり引いたり足し
たりしていく内に、徐々に血が通っていくんですよ。一見無関係そうなシーン同士でも、間に一つ別のシーンを差し込むことでそれらが繋がっていくこともあり
ます。映画の中に詩人の菅野さんが最後に登場しますが、実はそのシーンは二日目辺りに撮っていたものでした。しかし、そのシーンを最初の方に持ってきても
味わい深さというのはなかなか伝わりづらいと思うのです。私自身そう思いましたから。全ての撮影が終盤に来たところで、やっと私自身もそのシーンの深みと
いうのを感じることが出来ました。それは普段人と会話している中でもそういう作業は行われていて、旅行に行った話をどこをメインに置きたいかとか順番を考
えながら話しますよね。要はそれと同じだと思います

――
支離滅裂なことを感情に任せて電話で話しまくる男性が最後に出てきますよね。そして、バイクに乗って去っていくのがラストシーンでしたなぜ、このシーンを最後に持っていったのですか。

あのラストシーンは私の中でも揺ぎ無いというか、あのシーンしかラストとしては考えられませんでした。基本的には私の経験と映画の印象がマッチするよ
うに作っているわけですが、例えば、ラストの前の詩を読むシーンを一番最後に持ってきたとしても、私の見た印象とは結構かけ離れているわけです。まああのシーンで終わるのが一番無難なのかもしれませんね。観ている方もホッとして映画館を去れるというか。しかしそういう光を見るような部分も必要なのかもしれませんが、現実的に当事者はまだ困難さというのが続いていくわけですよ。こんなものでは終わらない、実際はもっと複雑なことなんだと

―― 確かに、患者さん同士が和気あいあいと詩や川柳を詠むシーンで少しホッとして、ラストシーンで不安な気持ちにさせられます。更にもっと衝撃的なのは、エンドロールに「追悼」という言葉が映し出され、撮影後に3名の方がこの世を去ったという現実を突
きつけられることです。彼らは自ら命を絶ったのですか。

3名の内
2名は自らそういう選択をされています。自殺願望とは、多くの方が闘っておられるのだなと、それこそ毎日そのこととの闘いなのかなと思わせられるくらい、
死という言葉がよく発せられていました。私も本当にショックでした。岸本さんという方は、自分自身にマル
付けられるようになったとおっしゃっていました
し、死を選択するなんてことはもう無いだろうと私は解釈していたので、すっかり乗り越えられているように見受けられました。しかし実際はそうではないとい
うことを知った時には、人を理解するというのは非常に難しいことなのだなと。その人がどういう気持ちなのか想像することはできても、そのまま感じることは
出来ないんだなと改めて痛感しました

――最後に女性自身読者に対して何か一言いただけますか?

ドキュメンタリー
というと、硬くてお勉強させられるようなイメージがあるかもしれません。ですから敬遠されてきた方も多いのではないかと勝手に想像しているのですが、シン
プルに自分の見たものを体感してほしいと思って作っているので、肩の力を抜いて一つの世界を見に行くんだというくらいの気持ちで観ていただけたら嬉しいです


インタビューDJ
Taba

写真・shiggy

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