_dsc8194「私がテレビに? 新聞に?」と戸惑いもあったが、元来、環境に惑わされない純粋な翔子さんは、どんなに周りが騒がしくなろうとも無心、無欲で書を書き続けている。

「書くことは楽しいし嬉しい。書いていると、お母様がすごく怒って、私が泣いたりすることもあります。そんなときは、お父様に『お母様を叱って』とお願いするんです」

という翔子さん。

 彼女にとって、裕さんの死は解っているが、同時に翔子さんの中に「お父様」はずっと生きているのだ。翔子さんの部屋には生前のダンディな裕さんの写真、翔子さんの誕生日を祝う幸せな2ショットが飾られている。

「病気で亡くなってしまったのだけれど、毎晩、お祈りをして、お父様とお話しをしています。私、頑張りますって」

 その裕さんは、亡くなる半年前に、現在翔子さんの師でもある書家の柳田泰山先生の個展会場で「女房を日本一の書家にしてください」と頼んでいた。

泰子さんは、雅号を金澤蘭凰という。

大学時代に、柳田流の楷書の美しさに魅せられ、三代目の泰雲先生に師事した。その後、泰雲先生死去に伴い、四代目泰山氏の『泰書會』に入門。研鑽を積み九段の腕前である。 

故人となってしまった裕さんの願いもあり、泰山先生は泰子さんにこう言ったという。

「あなたを日本一にと頼まれたけれど、それは無理だから、翔子さんをダウン症で日本一の女流書家にしましょう」と。

 裕さんは、急逝してしまったが、大切な遺言を師に託していってくれた。

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