安倍総理と同じ「保守政治家」にして「改憲論者」であった中曽根康弘元総理大臣(96)。’82年、中曽根政権がスタートしたとき、日韓、日米関係は戦後最悪といっていい状況だった。同氏の秘書を20年以上務めた、田中茂みんなの党参議院議員(56)は次のように話す。

 

「前政権の鈴木善幸内閣で、園田直外相が円借款を求める韓国に対し、“韓国では嫌いな相手からカネを借りたり、技術を教えてもらう社会習慣でもあるのか?”と公式の場で発言。さらに、鈴木善幸首相が“日米同盟は軍事同盟ではない”と発言し、日米関係もギクシャクしていた」

 

「初動の早さ」を危機管理上の第一に挙げた中曽根は、就任早々、米国より先に韓国の全斗煥大統領に電話。訪米の直前に韓国を訪問し、日韓関係を修復した。と同時に、防衛費の増加、対米武器技術供与という“おみやげ”を手に訪米。レーガン大統領との会談は成功し、日米関係修復にも成功した。以後、「ロン・ヤス」は、戦後日米外交史上、もっとも良好な関係を持続していく。

 

初動だけではない。中曽根が危機管理上、重要視したのが「柔軟性」だ。その象徴が、靖国参拝だった。’85年、歴代総理として初めて終戦記念日に靖国神社に公式参拝。だが、その翌年、A級戦犯の合祀問題が浮上すると、中曽根は即座に、靖国参拝を取りやめた。

 

「当時、中曽根は“風見鶏”と揶揄されたが、“定見のある風見鶏は悪くない”と意に介さなかった。中曽根は、けっして二国間だけで外交を考えない。その裏にある国際情勢を念頭に置いていた。当時、市場経済化に踏み出した中国を西側陣営に引き込むことが戦略上重要だった。靖国参拝をすれば、良好な関係を築いていた胡耀邦総書記長が国内政治上危機に陥るかもしれない。ならば靖国参拝はしない、というのが中曽根の判断でした」(田中氏・以下同)

 

中曽根がいまでも抱く「外交の4原則」というものがある。

 

国力以上の対外活動をしてはならない

外交はギャンブルであってはならない

内政と外交を混交してはならない

世界史の正統的潮流を外れてはならない

 

現在の安倍首相が、そして各国リーダーが耳を傾けるべきだろう。韓国、中国に歩み寄ったからこそ生まれた最良の日米関係。安倍政権が「中曽根外交」から学ぶべき点は多い。

 

「中曽根は“総理の一念は狂気であり、権力は魔性である”と、権力が持つ恐ろしさを実感していた。魔性にとりつかれ、独断に陥る自分を戒めるために、あえて、自派ではなく、最大派閥の田中派に属した後藤田氏を官房長官に据えた。中曽根の謙虚さが、戦後稀有な危機管理能力を備えた政権を作りだした。後藤田氏は、中曽根のことを嫌いだった。でも、政権が終わった後“あんなに立派な総理はいない”と語っていましたよ」

 

この“中曽根康弘を最もよく知る最後の秘書”といわれる田中氏が書いた『100歳へ! 中曽根康弘「長寿の秘訣」』(光文社)が発売中。大勲位の健康法まで詳述されている。

 

(週刊『FLASH』6月10日号)

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