私は、今年満93歳になりました。今日、沢山の方がここに集まっていらっしゃいますけども、恐らく、私より年上の方はいらっしゃらないだろうと思います。
私は、去年の5月末に病気をして、1年間ほとんど寝たきりでした。それが完全に治ったわけではありません。けれども、寝ているあいだも新聞やテレビのニュースは丹念に見聞きしていて、最近の政治状況には黙って寝ていられないほど、心を痛めていました。
病気か、あるいは怪我かはわかりませんけれども、どうせいつか死ぬならここに来て、一言でも皆さんにご挨拶をして、『このままでは駄目です。日本は本当に怖いことになっている』と申し上げて死にたいと思いました。
【寂聴さんの言葉に、拍手と歓声が沸きおこった。6月18日、寂聴さんは、国会議事堂前で開かれていた、安全保障関連法案に反対する集会に参加した。『憲法9条を守ろう!』などと書かれたプラカードを持つ人々、そしてデモを監視する大勢の警察官たち。そんな騒然とした現場に車椅子に乗って現れた寂聴さん。主催者に渡されたマイクを手に、一言一言を小さな体から絞り出すかのように、参会者に語りかけたのだった。】
今日は、ただ自分1人で、ここにやって来ました。国会前に行こうと2日前に決めて、昨日、東京に着きました。私が怪我をしたり、何かの拍子で死んだりしても、それはあくまで自己責任です。だから、何でも言っていいと思って、ここにまいりました。
私は(太平洋)戦争の真っただ中に青春を過ごしました。ですから戦争がいかにひどくて、大変かということを、身に染みて感じています。私は戦前に結婚して、戦争中は北京で暮らし、終戦も北京で迎えました。戦争中に日本人が、中国でいかに威張っていたかも、自分の目で見ています。ですから日本が負けたと聞いて、中国人に殺されると思いました。
しかし、私が隠れ住んでいた家の周りの路地にたくさんの貼り紙があって、そこに書かれていたのは『怨みに報ゆるに、徳を以ってす』という、中国の言葉でした。ひどいことをした相手であっても、人の心で温かく対応しようという意味です。その時に、ああこういう国と戦争して負けるのは当然だと思いました。
日本に帰ってきましたら、故郷の徳島は、焼け野原でした。母親が防空壕で焼け死んだことも、初めて知らされました。
それまでの教育で、『この戦争は天皇陛下のためだ、日本国民の将来の幸せのためだ、東洋の平和のためだ』と、教えられていましたが、それをまるまる信じていた自分の馬鹿さ加減に、気付きました。
【寂聴さんは背骨圧迫骨折と胆のうがんのため、最近まで療養を続けていた。東京に来るのも約1年ぶり。93歳の彼女を動かしているのは、「戦争への道を糾したい」という熱情だ。】
良い戦争なんて、絶対にありません。戦争は、すべて人殺しです。それは、人間のいちばん悪い行為です。それを2度と繰り返してはならない。戦争をしてはならない。
しかし、最近の日本の情勢を見ていますと、なんだかあの怖い戦争に、どんどん近づいているような気がします。
ですから、せめて死ぬ前にそういう気持を訴えたいと思って来ました。ここに集まった皆さんは、私と同じような気持ちだと思います。どうかその気持ちを、他の人たちにも伝えてください。特に若い人たちに伝えて、若い人の将来が幸せな方向に進んでほしいと思います……どうも有難うございました。