「東京大学大学院医学系研究科救急医学講座 医学部附属病院救急部・集中治療部教授」(救急部と集中治療部を総括する部長)の矢作直樹医師(58)は、幼いころから“あの世”の存在を意識していた。魂は永遠であり、肉体は一時の鎧であることに、最初から気付いていた。
その後、自分の臨死体験や医師として多くの死に立ち会うことで確信する。人間は、神のような“大きな力” に導かれ、与えられた環境のなかでおのおのの「お役目」を全うすることが大切なのだとーー。
矢作先生には住む家がない。東京大学医学部附属病院の研究棟内の一室が、いわば家だ。ここで寝泊まりし、一日の大半を過ごす。’01年に現職に就いてから、不眠不休で東大病院の救急体制を改革してきた。結果、病院に泊まり込む日々となり、家はなく、独身だ。
東大病院で最先端医療を行う一方で、先生は“魂”や“あの世”の存在を確信している。’11年に上梓した『人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』(バジリコ刊)や近著『ご縁とお役目 臨床医が考える魂と肉体の磨き方』(ワニブックス刊)が話題を呼んでいる。
「誰に教わったわけでもない。子どものころから、私はあの世の存在を意識していました。医師になり、医療現場に立ってみて、医学で説明できない現象を何度も目の当たりにし、霊の存在を確信したんです」(矢作先生・以下同)
西洋医学と対極にある魂の世界。2つの世界を軽々と行き来しながら、先生は日々患者の命と向き合っていた。
「バイタルサイン上は意識がない患者さんの表情が、ふっと穏やかになり、意識を取り戻したかのように変化する。誰もいない場所に目をやって、幸せそうな顔をするーー。魂の存在を前提としない、今の西洋医学では説明できないことですが、きっと、あの世にいる家族や友人がお迎えにきたのでしょう。私はそう思っています」
物心ついたころから魂の存在を当たり前に感じていたという先生は、大学3年のとき、単独登山中の鹿島槍ヶ岳で臨死体験をする。その日は、一寸先も見えないほどの猛吹雪だった。誤って雪庇を踏んだ先生は、北壁の絶壁を一気に落下してしまう。
「その瞬間、周りの景色がゆっくりと見え、自分は死ぬんだろうと考えていました。肉体という鎧から、魂の一部が外れて、ものすごい思考の回転があったために、周りがゆっくりに感じたんでしょう。1千メートルもの高さから滑落したら、無事でいるほうが不思議ですが……」
先生は、奇跡的に大きなケガもなく生還。その数カ月後には、性懲りもなく再び同じ雪山に挑戦し、そこでさらに不思議な体験をした。
「またもや吹雪で、ピューピュー風の音がするなかで、突然、声が聞こえたんです。『もう、山には来るな』と。自分を守ってくれる存在の声だと感じたんです」
現実味のあるはっきりした声だった。矢作先生は思わずあたりを見回した。男性か女性の声かもわからない。しかし、ストンと胸に落ちた。その日以後、あれほどのめりこんだ登山をキッパリとやめた。
「私たち人間は、大きな存在に守られていることをあらためて感じた体験でした。それが神なのか、別のものなのかはわかりませんが、人間のようなちっぽけな存在が、大きな存在の導きにかなうわけがない。私が生き残ったことには、たぶん、意味がある。でも、それをいちいち考えてもしょうがない。そこから私は、物事に理由をつけず、与えられた目の前の仕事に、没頭することにしたのです」