「妹の具合が日々悪くなっていくなか、療養の環境を向上させたいとの思いだけで医療の道へと進みました。自分の中で頑張れるギリギリの年齢でのスタートでした」
同時通訳者からキャスターへ転身、そして伊丹十三監督に抜擢され映画『あげまん』でスクリーンデビューと、華麗なキャリアを重ねてきた石井苗子さん(60)は’97年、聖路加看護大学に学士入学し看護を学ぶ。
その後、’02年47歳で東京大学医学系研究科で修士号、そして博士号(保健学)をも取得。現在も東大で研究を続ける。51歳から都内のクリニックでヘルスカウンセラーとして勤務。クリニックで個人の患者と向き合っている。しかも、女優業を維持しながら。
これほどのエネルギーの源泉はどこにあるのか。そううかがったところ冒頭のとおり、出発点は「分身のように生きてきた妹のためだけだった」と明かしてくれたのだった。
早くに両親を亡くした石井さんは、筋萎縮性側索硬化症という難病を患う実妹を結婚後も自宅で看護。看護の専門性を身に付け手を尽くしたが、後にがんも発症し’10年に他界してしまう。
「彼女を看取ってからは、体の半分を持っていかれたみたいな状態でした」(石井さん・以下同)
抜け殻のような日々の中、’11年には、あの東日本大震災が起こり石井さんは再び妹への思いを生かす場を与えられた。母校の聖路加と東大を結ぶ懸け橋となりNPO法人日本臨床研究支援ユニット・理事として、東日本大震災被災住民支援プロジェクトに奔走。
「訪問看護のエキスパートたち1,075人を被災地に派遣し、来年5年目になります。今後は高齢者だけではなく、若者の健康増進も急務の課題。街づくりというのはそこに住むすべての人の健康増進に努めることですから」
最後に、石井さんは今後の生き方について次のように語る。
「常に新しい価値観を身に付けようとする姿勢は大切です。前の自分を捨てるのではなく、この年だからこそもっと深い人間になっていかないと、メディアで仕事をさせていただいている身としては失礼だと思うんです。なので、いくつになっても、もっとすごい自分になりたいと思い続けるでしょうね」