福島県白河市で、福島の農業を変えようと注目集めている「農業女子」が須藤愛美さん(37)だ。彼女の朝は、収穫したばかりの野菜を直売所や道の駅などの野菜売り場に運ぶことから始まる。午前中に5〜6カ所、お昼までに50キロ以上の距離を、1人で回る。
白河市内でエステティシャンをしていた須藤さんが、農業を始めたのは’10年10月のこと。シングルマザーで、当時小学3年生の息子を女手ひとつで育てていた彼女は、父が経営する農業法人「南会津高原ファーム」の社員として、農作業や野菜の配達をしていた。
「父は、収穫した野菜を首都圏に送るため農協や大手メーカーに卸し、余った分を直売所で売っていました。直売所で売る野菜もおいしいのに、なぜか売れない。そんなとき、ある店の近くに大きな病院があって、仕事帰りの看護師さんが来ていることを知ったんです。そこで、調理しやすく、ブロッコリーを小分けしたり、玉ねぎの皮をむいて売り出したら、それがバカ売れ。主婦目線で農業をかえられるかも、と思った矢先に震災がきたんです」
そして、原発の事故。福島第1原発から50キロ以上離れた須藤さんの畑がある白河市は、放射能汚染の被害は少なかったが……。
「自分たちで放射能の検査をして、検出不能とお墨付きをもらっても、福島産の野菜ということで一緒になって、廃棄処分。捨てられる8トンのブロッコリーの山を見ながら父親は『もう農業は無理だな〜』と」
震災後2カ月をすぎたころには、野菜の出荷も徐々に始まったが、価格は暴落。
「ほうれん草が通常1箱4キロ入りが1,200円。これでもギリギリなのに、震災後は300円に。手間暇かけた野菜を、捨てるために収穫するようなもの。そのとき、自分たちで価格を決めて、自分たちで販売していかないと、農業はダメになるなと思ったんです」
震災から3カ月後、大部分を首都圏に出荷していた野菜を、地元の消費者へ直接販売することにした。
「作る人と食べる人が直でつながっていることが、やっぱり大切なんです。これまで市場が認める野菜がいいものだと思い、畑でとれた最高の野菜を卸していた。震災後は、いちばんいい野菜を直売所に持って行って、お客さまに売っていこうと。だって『おいしかった』というお客さまの声のほうが、やりがいになるんだもの」
直接、消費者に売る店舗は、震災前は4軒だったが、現在は白河市周辺で25軒になった。良質の野菜を作ることにかけては貪欲だ。おいしい野菜があれば、作っている農家に聞きに行くことも。
「プロの農家なら、とても恥ずかしくてできないかもしれないけど、私は平気。おいしいとうもろこしを作っている農家に行って『教えてください』と。そのうえで、堆肥や作付けの方法を研究して、生で食べられるあまいとうもろこしを作ったんです。それがまた、バカ売れして!」
――午後からは収穫、出荷、そして再び直売所へ。福島復活のカギを握っているのは、情熱あふれる、彼女のような存在かもしれない。